新日本プロレス、WWE、WCWで活躍したハルク・ホーガンさん(本名)テリー・ユージーン・ボレアさん)が、自宅で倒れていたところを発見され、心臓発作のため死去した。享年71歳。
ホーガンさんはヒロ・マツダさんの指導を受け1977年にデビュー、1879年にWWF入りした際にビンス・マクマホン・シニアから現在のリングネームを改め、MSGではテッド・デビアスをデビュー戦で破ったことから20数連勝という戦績を残し「マディソン・スクエア・ガーデンの奇跡」と評され、WWFヘビー級王者だったボブ・バックランドに挑戦するなど大ブレイクを果たした。
1980年に新日本プロレスに参戦してから常連外国人選手の一人となり、アントニオ猪木の保持するNWFヘビー級王座にも挑戦、トップ外国人選手だったスタン・ハンセンが全日本プロレスへ引き抜かれた後は、新日本プロレスでトップ外国人選手となり、出演した映画「ロッキーⅢ」に出演した影響もあって、日米でもトップ選手となった。1982年、1983年には猪木と組んで「MSGタッグリーグ戦を優勝、1983年「第1回IWGP」では猪木を破り優勝を果たした。

1983年にシニアから後を継いだビンス・マクマホンの誘いでWWFに専属契約を果たし、アイアン・シークを降しWWF世界ヘビー級王座を奪取、以降はアメリカを代表する選手となってデビアス、アンドレ・ザ・ジャイアント、ランディ・サベージと対戦し、全米に侵攻を始めたWWF躍進の原動力となった。

日本にも合間を縫って参戦し猪木だけでなく新日本プロレスでは藤波辰爾、グレート・ムタ、蝶野正洋、日米レスリングサミットでは盟友だったハンセン、そしてWWFと提携を結んだSWSに参戦した際には天龍源一郎や谷津嘉章とも対戦した。

WWFとの契約が終わると、WCWに参戦、1996年にはヒールターンを果たしてnWo入りし、nWoの大ヒットの一躍を担うが、WWEとの合併前にWCWからは離脱、2002年にはWWFに復帰し2005年にはWWE殿堂入りを果たした。
私生活ではトラブルに見舞われ、自身の不倫によりリンダ夫人とは離婚し家庭は崩壊、2度目の結婚をするも離婚していた。
ご冥福をお祈りいたします

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