新日本プロレスではアントニオ猪木の側近として活躍し、過激な仕掛け人と言われた新間寿氏が死去したことが、元ゴング編集長の清水勉氏のFacebookにて報告された
享年90歳
新間氏は日本プロレスの道場にボディビル練習生として通うようになってからプロレスに携わるようになり、1966年に豊登の誘いを受けてフロントとして東京プロレスに参加、ここからアントニオ猪木とも関係が生まれるも、東京プロレスが崩壊すると父から勘当を言い渡され、小来川鉱山の鉱夫として4年間に渡って極寒の僻地で鉱山労働に従していた。

1972年に猪木の誘いを受けて新日本プロレスに参加、専務取締役営業本部長の肩書きで、猪木の右腕として数々の名勝負を実現へと導き辣腕を振るい、「アントニオ猪木対モハメド・アリ」戦を実現させ、佐山聡を初代タイガーマスクとしてデビューさせ、昭和のプロレスブームを牽引してきた。



1983年に、『新日本クーデター未遂事件』の責任を取る形で、営業本部長を解任されされると、新日本プロレスを去り、第1次UWFを旗揚げするが、猪木が参加したなかったため、UWFからも去り、その後はジャパン女子プロレスやユニバーサル・プロレスリングにも関わった。


1989年には猪木が政界進出、スポーツ平和党を立ち上げたことで、幹事長に就任するが、金銭疑惑や党の運営などで対立、猪木と袂を分かつがその後、猪木とは猪木事務所のアドバイザーになるなど、和解。決別を繰り返していた
2019年にはWWE殿堂のレガシー部門に迎えられ、佐山聡のストロングスタイルプロレスにも携わった。
ご冥福をお祈りいたします
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