WWF(WWE)、新日本プロレス、全日本プロレスで活躍したボビー・ダンカンさんが死去した。享年81歳。
ダンカンさんは1966年にプロレスデビュー。1969年に日本プロレスに初来日し、1972年にはボボ・ブラジルと組んで、ジャイアント馬場&坂口征二が保持するインターナショナルタッグ王座にも挑戦した。1973年にはドリー・ファンク・シニアのルートで全日本プロレスにも初参戦した。
1974年にWWFに進出し、ブルーノ・サンマルチノのルートで全日本プロレスに一度参戦。AWAやNWAエリアを転戦した後、1979年に再びWWFに進出し、MSGで空位となっていたWWFヘビー級王座をかけてボブ・バックランドと王者決定戦を行った(当時、アントニオ猪木がWWF王座を獲得していたが返上し、MSGで猪木 vs バックランドの王座決定戦が行われるとされていたものの実現せず、バックランドが王者となり、ダンカンとの試合は防衛戦とされた)。
その後はWWFのルートで新日本プロレスの常連外国人の一人となり、アントニオ猪木とも対戦。春の本場所である「第4回MSGシリーズ」にもエントリーしたが、テリー・ファンクの要請でハルク・ホーガンの全日本プロレスへの移籍を画策したとして、一時的に新日本プロレスへの参戦が途絶えた(1983年11月に再来日)。その後はアメリカ各地を転戦していたという。
息子であるボビー・ダンカン・ジュニアもデビュー。全日本プロレスの常連となったが、2000年に急逝している。
ご冥福をお祈りいたします。
