国際プロレス、全日本プロレスで活躍し、全日本プロレスやNOAHではレフェリーとしても活躍したマイティ井上さん(本名・井上末雄さん)が心室細動で死去した。享年75歳。
井上さんは大阪出身で、マティ鈴木さんのスカウトを受け、1967年に国際プロレスに入門。同期にはストロング小林さんがいた。
1970年には海外遠征に出発。1972年10月に帰国すると、サマーソルトドロップを必殺技に活躍。1974年10月にはスーパースター・ビリー・グラハムを下しIWA世界ヘビー級王座を奪取し、AWA世界ヘビー級王者だったバーン・ガニアとのダブルタイトル戦を実現。また、グレート草津さん、アニマル浜口、阿修羅・原さんとのタッグでIWA世界タッグ王座を奪取するなど、中心選手として活躍した。


全日本プロレスとの対抗戦では浜口とのコンビでアジアタッグ王座を奪取、アンドレ・ザ・ジャイアントとも国際プロレス時代から親交があった。

1981年に国際プロレスが崩壊すると、アンチ新日本プロレスの立場からゴング編集長の竹内宏介氏の仲介で全日本プロレスへ移籍。体重を落としてジュニアヘビー級となり、チャボ・ゲレロを破ってインターナショナルジュニアヘビー級王座を奪取。同じく国際プロレスから移籍した原、石川敬士とのコンビで再びアジアタッグ王座を奪取した。


90年代からは中堅選手として活躍したが、1997年に内臓疾患に倒れると1998年に現役を引退し、レフェリーへ転向。2000年にはプロレスリングNOAH旗揚げに参加。レフェリー兼任で外国人係を務め、テレビ中継でも解説を務めた。
2009年には契約満了でNOAHを退団。その後は、宮崎に在住、「Gスピリッツ」などのインタビューに応じ、最新号でもインタビューに応じて国際プロレス時代を振り返っていた。
ご冥福をお祈りいたします。
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