大相撲で64代横綱となり、全日本プロレスでは三冠ヘビー級王者となった曙太郎さんが心不全で死去した、享年54歳。

曙さんは大相撲では若乃花、貴乃花共に横綱として一時代を築き、11度優勝したが、引退後は部屋付き横綱として後進の指導、そしてK-1からの誘いを受けて格闘家に転向、2003年大晦日の『K-1Dynamite』でボブ・サップ相手にデビューを果たし、瞬間視聴率では紅白歌合戦を上回るなど注目を浴びた。

しかし、K-1では結果を出せず、2005年にWWE SMACKDOWNでプロレスデビューを果たすと、レッスルマニアではビックショー相手に相撲マッチで対戦、8・4WRESTLE-1でグレート・ムタと対戦したことをきっかけに、武藤敬司の指導を受け全日本プロレスに参戦した。

その後は新日本プロレスにも参戦してブロック・レスナーの保持しているIWGPヘビー級王座にも挑戦するだけでなく、『G1 CLIMAX』にも参戦、ハッスルにも参戦して「ボノちゃん」として活躍した。

その後やNOAH、DRAGON GATE、ZERO1にも参戦したが。2013年からは全日本プロレス所属となり、取締役にも就任、チャンピオンカーニバルにも優勝し、三冠ヘビー級王座を2度、世界タッグ王座、アジアタッグ王座も獲得するなど、横綱出身者として初めてプロレス界も頂点にもなった。

2015年11月に全日本プロレスを退団し、馬場元子さんの後押しを受けてマネージメント会社「王道」を設立、自主興行を開催しつつフリーランスとして活動していたが、2017年4月11日、福岡県内で行われた試合後に体調の異変を訴え、救急搬送されてからは、プロレスラーとしては引退状態となり、その後は闘病生活を送っていた。

ご冥福をお祈りいたします

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