”白石”騒動…破壊された武藤全日本プロレス


2023年7月12日、白石伸生という人物が逮捕された。白石伸生は全日本プロレスのオーナーだった人物だった。

2012年11月に経営が逼迫した武藤全日本は白石が経営するスピードパートナーズなる会社に全株式を売却した。武藤と白石は武藤の新日本プロレス時代からの付き合いで単なる個人的なスポンサーだった。新会社として「全日本プロレス・システムズ」が設立されたこの時点ではまだ公にされておらず、明らかになったのは翌年の2月だった。

武藤敬司、小島聡、ケンドー・カシンの3選手と青木謙治、武田有弘などスタッフがこぞって全日本プロレスに移籍、移籍当初は株式上場も浮上していたが、CSしかテレビ中継がないのにもかかわらず、外国人選手には破格のギャラを支払っており、武藤らの高額のギャラも支払わなければならないため全日本の経理を圧迫したため、金策に追われる状況となっていたことから、武藤全日本は最初から悪戦苦闘から始まっていた。

馬場元子から全株式を譲り受けた武藤は正式に全日本プロレスの社長に就任したが、金策に追われる状況は変わらないため外国人選手の入れ替えや、主要会場だった武道館からの撤退を断行、お笑いあり、シビアな闘いあり、スピード感あふれる試合あり、外国人の迫力ある試合等が1日で観られるパッケージプロレスを導入したが、経営は好転するには至らず、青木氏や武田氏を始めとした武藤に追随してきたスタッフは離れてしまい、入れ替わりに内田雅之氏が入社するが「武藤敬司という看板があったからお客さんを何とか集め、スポンサーも確保できた」と言った通り、武藤という金看板に頼りきりの状態が続いていた。

2010年になると武藤が長年酷使してきた膝を手術するために長期欠場、復帰はしたものの膝への負担を軽くするためにスポット参戦扱いとなり、また内部でも武藤がジャイアント馬場色を排するために内田氏やカズ・ハヤシなど自身の側近で固めて馬場全日本からの側近である和田京平や渕正信を遠ざけるようになっていた。
そういう状況でTARUによる平井伸和への暴行事件が起きると、武藤は社長を辞任して内田氏が社長に就任するも、武藤が全面的に謝罪しなかったこともあって内外から批判され、和田京平レフェリーも武藤の対応の仕方を批判したため、武藤は契約切れとして和田京平を解雇してしまうが、TARUの暴行事件の対応は全日本にとっても大きなイメージダウンとなってしまった。

2012年3月に東日本大震災が発生し、東北や北海道を中心とした興行コースを組んでいた全日本は大会中止を余儀なくされ、2013年1月26日にはリック・フレアーを参戦することが決定するも、最初から試合をする気のなかったフレアーが左足の異変を理由に試合開始5分前に試合をキャンセルしてしまい、フレアー目当てでチケットを買ったファンから激怒させてしまう。武藤の手術による試合数減少、震災、TARU暴行事件の対応、フレアーのドタキャンと負の連鎖が続いた全日本はファンの信用を失ってしまい、ギャラの遅配も出始めたことで、経営危機が囁かれるようになった。

 そこで武藤は白石伸生に経営を譲渡したが、もともと武藤の旧知関係の投資家だった。全日本のオーナーとなった白石は「2年以内に東京ドームに進出しなさいと厳命している。3年以内に4大ドームツアーができるようになって、ボクのお手伝い終了となる」と最短でのドーム進出をマニュフェストとして掲げながらも「選手の感情もあるので簡単にはいかないと思うけど、総合格闘技もできてプロレスラーだと思ってる」総合格闘技進出発言を示唆し米国MMAこれまで交流していた新日本プロレスや大日本プロレスとの交流を辞めて鎖国や「ヤラセのない力と力、心と心の限界値を極限にまで追求する」”ガチンコプロレス”論を掲げたことで、白石の掲げたマニュフェストは武藤敬司の理想とするプロレスに相反するもので、極端な方向転換に社長だった内田雅之氏も困惑するしかなかった

白石はFacebookを通じて新日本プロレスを「「WWEや新日本プロレスといった勝ち負けが事前に決まっているエンターテイメントプロレス」「道場ではヤラセの練習をしていると」と批判、中邑真輔や永田裕志の引き抜きを示唆、長州力に対して「引退詐欺」と批判して白石自ら制裁を宣言、当時フリーと参戦していたKENSOも「ガチンコプロレスが出来ない」,さらにはジャイアント馬場がキャッチフレーズにした「シュートを越えたものがプロレスである」に対して「プロレスは、シュートを超える。しかし、その言葉の裏には、真剣勝負がしたいのに、負けなければならない、明日から(チャンカン開幕戦)から、その歴史が変わる。シュート(真剣勝負)が、プロレスを超える!」と否定する発言したことで、一躍注目の的となってしまうが、現場を無視しての一方的な発言は団体の信用を損なうとして武藤だけでなく内田社長もFacebookを辞めるように注意するが、白石は反発してFacebookでの発言をエスカレートさせていく。

武藤と白石の亀裂が決定的になったのは3月17日の両国国技館大会、この時も新日本批判を続ける白石に内田取締役が新日本側に謝罪したが、これが白石の逆鱗に触れてしまい、内田取締役をFacebookでで内田社長が取締役の過去の失敗を暴露、「両国大会へ来場して挨拶する」でFacebokで予告すると、内田取締役は白石にファンからの反発を招くとして反対したが、怒った白石はFacebookで内田取締役に対して解任をチラつかせる。それでも内田取締役が白石に対して会場に出入り禁止を通達して両国大会に臨んだものの、全試合終了後の撤収作業を始めようとしたところで、白石が乱入してリングに上がって挨拶しようとしたが、これまでの発言で不快に思っていたファンからブーイングや怒号が飛び交う、そこでKENSOが現れて「みんなお前が出てくると気分が悪いんだ!お前のいうガチンコプロレス、やってやろうじゃねぇか!」と白石に詰め寄ると、白石は「お前にガチンコプロレスできんのか?」は問い、KENSO「これから毎日毎日、第5試合でやってやるよ!」と返したことで、白石はKENSOにビンタを放ってリングを降りようとしたが、佐藤光留が白石に怒って詰め寄ろうとしたため、スタッフが必死で制止、全日本両国大会は大混乱の中で幕を閉じるも、白石はKENSOを殴打したことでファンからの反発をますます招いてしまった。

4月のチャンピオンカーニバルの後楽園ホール大会で行われた優勝決定戦のバックステージでは白石は武藤に対して現場の決定権も自身に移譲するように迫る。武藤は拒否したため、激怒した白石は大会終了後すぐにFacebookで内田氏を社長から解任を通告、自ら社長を務め、自身の子飼いの部下を役員に据えてを発表する。白石が一方的決めた人事に武藤も反発し、新たなるスポンサーを連れて全日本株の買い戻しに動いたが、白石が応じなかったため交渉は不調に終わり、武藤は不本意ながら投げだす形で退団することを決意して選手やスタッフに退団を呼びかけた。それに対して白石は武藤に追随しようとする選手に対してギャラを支払わないなど圧力をかけたものの、白石の行状に呆れていたカズ・ハヤシ、近藤修司が追随することをきっかけに、船木誠勝、KAI、中之上靖文、浜亮太や練習生などが武藤に合流を決め、6月30日の両国大会をもって既に全日本を去っていた武藤を除いて新団体に参加する選手は全日本を去り、武藤全日本は終焉となった。

武藤が去った全日本プロレスには諏訪魔、全日本にフリーとして参戦していた秋山準らバーニング(潮崎豪、鈴木鼓太郎、亀丸義信、青木篤志)、大森隆男、KENSO、佐藤光留、SUSHI、ジョー・ドーリング、欠場中の征矢学が残留した。
武藤は白石が取り仕切る全日本はいずれ潰れると考えて、諏訪魔や秋山らにも声をかけ、諏訪魔は武藤全日本からデビューしたことで誰もが追随すると思われていたが、諏訪魔は武藤より全日本プロレスという団体に惹かれていただけでなく、白石を招いた武藤には責任はないのかという疑問を感じていたこともあって全日本に残留を決め、秋山と大森も出戻りだったこともあって「これ以上、全日本を裏切れない」と考えたことでの残留することを決めていた。白石の要請で和田京平レフェリーも名誉レフェリーという形で復帰し、白石も会見でこれまでの言動でプロレス界に迷惑をかけてきたことを謝罪。「感動と感謝」をキーワードに定め、「こちらにいらっしゃる選手の方々、バックで支えているフロントの面々の意見を聞き、よりいっそうプロレスを勉強しつつ、全日本の歴史、伝統をよりいっそう勉強した上で私が目指すプロレス業界の改革を進めていきたい」と会見で答えていた。後楽園ホールに姿を見せファンと接するなど、これまでの行状が改まったかに見えた。

しかしそれは表向きに過ぎず、Facebookでの暴言を続け武藤が旗揚げした「WRESTLE-1を買収する」など発言、プロレス体験学習を希望して渕とのスパーリングに臨んだが、この時は白石もMMAの練習の経験があるとして「渕さんとのスパーリングなら勝てる」と言っていたにもかかわらず、渕の関節技の前にボロ雑巾のようにされ、それでも懲りずには8・25大田区大会でKENSOをパートナーにして一方的にリングデビューを果たしてしまう。この日は秋山も大森と対戦しランニングニーで大森をKOしたが、試合後のバックステージインタビューで「俺は“プロレスとはこういうもんなんだよ”というのを見せた方がいいかなと思って、思いきり叩き込みました、こういうこともあるんだよというのはわかってもらいたい、もし次にやることがあれば、俺がお相手します」と次に白石がリングに上がる時は自分が相手になることを示すと、それが白石に伝わったのか大会後に「プロレスの痛み、大変さ、十分に今回理解しました。私はリングに上がるのは、今日が最初で最後です」と秋山に潰されることを恐れてか引き下がるどころか、社長もあっさり辞任して部下に運営を任せてしまった。

白石が現場から引き下がったとしても、全日本プロレスの状況は好転するどころか、ますます悪化、この頃になると白石の抱えていた事業のほとんどが経営が悪化するなど、白石の周囲には怪しい話が出始めており、社長を任せていた白石の部下も人事異動を理由に姿を消してしまい、再び白石が社長として全日本プロレスを取り仕切るようになっていた。
Facebookでの更新が止まったことで暴走発言が止まったかと思われたが、Abemaブログにてブログを開始したことで暴走発言を続けていた。2014年1月、白石が突然「選手、フロントに甘えがあったので、支援金額を1ケ月から固定化した」「団体経営を理解させるための治療薬」として、選手やギャラの支払いをストップさせてしまう。それは白石が一方的に決めたことで選手らには一切相談していなかった。経営の悪化を全て現場に擦り付けられたことで、秋山らは怒りを通り越して呆れてしまい新会社設立へと動き、白石と袂を分かって7月から秋山を社長とする新体制となった全日本プロレスがスタートした。

その後、秋山は白石とは全く会っていなかったが、未払い分のギャラは少しずつ2年がかりで完済させた。白石がどういう意図があってギャラを全て支払ったのか、全ての関係を清算させたかったのかどうか定かではない。

その後、自分も白石はその後どうなっているのか気になることがあり調べる時があるが、投資会社を作って金を集め、他に流用しては訴えられており、裁判沙汰にもなるも、逮捕されることはなく、全日本プロレスのオーナーだったことも黒歴史のようにして語られることがなかった。この人はこういう生き方しか出来ないなと思っていたが、そして7月12日、

これまでもこういうことを繰り返しては逮捕されるかされないかギリギリのところで逮捕されなかったことから、おそらく本人も逮捕されないだろうと思ったのか、全日本プロレスから離れて9年経っても、こういう生き方しか出来なったんだなと思わざる得なかった。

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