緊急役員会のあった夜に芳の里、吉村道明、役員となっていたグレート小鹿が新宿のスナックで会談しているところで上田馬之助から電話が入り「このシリーズが終わった翌日、全員参加のゴルフコンペの日に、猪木さんが会社の定款を変えて自分が社長になるようなことを企んでいる」と密告する。これに驚いた芳の里らは上田をスナックに呼び出して詰問、その場で上田がジャイアント馬場も加担していると明かすと、馬場も呼び出して詰問したが、馬場は「オレは知らん」と全面否定していた。

馬場、猪木、上田馬之助を中心とした日本プロレスの改革は芳の里を会長にして社長は馬場、副社長は猪木という話ものだったが、選手主導の新会社に芳の里を会長として残したのは馬場の考えで乱暴なやり方ではクーデターと取られ、対外的に悪いことから、幹部達には段階的に辞めてもらって、なるべく無傷で円満に事を進めるはずだった。ところが上田が明かした猪木の考える新人事は会長に馬場、社長に猪木、副社長に木村というもので、”外部の人間で猪木の側近である木村が副社長になっているだけでなく、新会社になったとしても実権は猪木と木村が握る”ものだったことから、馬場にしても納得しがたいものだった。しかし、上田は真の裏切り者は馬場と見ていた。
緊急役員会を控えたある日に、上田は遠藤に呼び出されると、秘密とされていたクーデター計画は全てを知っているとして上田を追及した。遠藤に話したのは馬場だという。馬場はパンフレットを印刷する社長にクーデターのことを明かしていたが、その社長は遠藤とも通じており、社長ルートで遠藤に漏れていたというのだ
また、上田の身辺にもおかしな動きがあった、猪木派の一人である山本小鉄が嘆願書に署名を集めていた際に「馬場を会長に、猪木を社長にして相撲取り上がりは全て排除する」と発言していたという。後年に天龍源一郎が「馬場さんと2人で喫茶店にいたとき、その店に同じく相撲からプロレスに転向した選手が2人来たことがあるんだけど、彼らの仕草や態度を見て馬場さんは『天龍、あの相撲上りの奴らを見てみろよ。いつまでも相撲取りみたいな態度でいて。だから相撲上りは一般社会になじめないんだよ』」と話していたことがあったことがあり、馬場もバクチ打ちだった豊登や、後輩に対してパワハラをする松岡巌鉄など相撲上がりを見てきたことがあって好意を持っていなかったことから、相撲上がりを排除することを提案したのは案外馬場だったのかもしれない、上田も相撲取り上がりだったこともあって、馬場と猪木の新人事通りだと立役者の一人である上田自身も排除される。いや選手全体のことを考えた改革のつもりが、馬場と猪木が主導することで切り捨てられる選手が出てくる。さすがに人の好い上田も黙っていられなかったかもしれない。

なぜ馬場が印刷会社の社長に話したとされたのかわからない、新体制になった際に”社長になるかもしれないから”ということで挨拶したか、猪木の早急すぎる考えについていけない部分があったのか、それとも遠藤が改革派の斬り崩しを狙って人が好過ぎて騙されやすい上田に嘘を言って信じ込ませたのか、上田も自分が持ちかけた改革を、いつの間にか馬場と猪木が主導権を奪ってしまったことで焦り、遠藤の嘘を信じ込んでもおかしくはなかったのかもしれない。
これで芳の里だけでなく馬場も猪木と木村の行動を警戒しだすと、木村も真の目的が勘づかれたと見たのか、早急に動き出し「上田に新会社を設立し、上田を役員にするために、上田個人の印鑑証明を用意して欲しい」と依頼する。そこで12月1日の巡業先の名古屋で上田が馬場に木村が新会社を設立しようとしていると明かすと、馬場は「それは話が違う!それじゃ完全なクーデターじゃないか!、俺達はとんでもない悪事の片棒を担いでいるかもしれないぞ!そういうことなら俺は改革から降りる」と怒り、更に木村が金庫から重要書類も持ち出そうとしていると知らされると、馬場はただちに東京へ戻り、事務所に押しかけて呑気にトランプをしていた芳の里に木村の監査を中止するように指示し、芳の里は社長室に押しかけると、木村は帳簿だけでなく、何点かの重要書類も持ち出そうとしていた。

こうして木村は社内からの立ち入り禁止を命じ、馬場は新幹線で巡業先の名古屋にとんぼ返りしたが、会場である愛知県体育館の控室では、重苦しい雰囲気になっていたという。上田は大会を終えると帰京して日本プロレスの顧問弁護士と共に猪木と木村の告発状を作成し、2日の浜松で上田がいないことに気づいた猪木は木村に連絡すると、木村から監査中止を報告を受けて愕然とした。猪木は腹心だったユセフ・トルコと小鉄と今後の対応を協議したが、猪木らは完全に孤立し控室も他の選手から隔離されるように別室となった。3日には芳の里が巡業先の山形に訪れて馬場は猪木と行動を共にしてしまったことを謝罪して選手会長辞任を申し入れ、猪木に対しては取締役辞任を要求したが、クーデターに加わっていなかった大木金太郎も動き出していた。(続く)
(参考資料 ベースボールマガジン社「日本プロレス事件史Vol.3 年末年始の大波乱」GスピリッツVol.50「BI砲時代の日本プロレス」Vol.56「日本プロレス黄金時代余話」)
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