初来日のベイダーが経験した修羅場…「両国暴動」!


 1987年12月27日に新日本は両国国技館大会でビックイベントを開催メインはアントニオ猪木に世代交代をかけて長州力が挑戦するIWGPヘビー級選手権だったが、もう一つの注目だったのは、TPG(たけしプロレス軍団)が送り込んできた猪木への刺客であるビックバン・ベイダーで、テレビ朝日も月曜日8時で2時間の特番を組んだ。

 ことのきっかけはビートたけしがニッポン放送でMCを務める「オールナイトニッポン」で「オイラがプロレスファンという事もあるけど、最近のプロレスに感じられなくなった力道山時代の熱気を、ぜひ取り戻したい」とプロレス団体を設立を掲げ、手駒の選手をスカウトして育成したうえで「手始めにアントニオ猪木に挑戦したい。何といっても日本でナンバー1のプロレスラーだから」と構想を掲げたことから全てが始まった。

 ビートたけしの発言に東京スポーツが乗り気となると一面と掲載され、猪木の名前が出たことで新日本プロレスも興味を抱き、マサ斎藤をビートたけし側のアドバイザーも兼ねて参謀役に据えた。当時の新日本プロレスは猪木が社長なれど、実権はテレビ朝日側が握っており、「ワールドプロレスリング」は月曜日8時に放送されてはいたものの、裏番組は日本テレビの「ザ・トップテン」フジテレビの「志村けんのだいじょうぶだあ」、TBSの「水戸黄門」や「大岡越前」が放送されていたこともあって視聴率では苦戦を強いられ、またビートたけしもフライデー襲撃事件で半年間謹慎して復帰するも、出演していたレギュラー番組が視聴率が低迷し、テレビ朝日も「ビートたけしのスポーツ大将」を放送していたこともあっててこ入れが迫られていたことから、新日本とビートたけし側の利害が一致していた。

 さっそくたけし軍団のたけし軍団のダンカンとガナルタカル・タカがビートたけし直筆の挑戦状を持参して新日本プロレスの事務所を訪れ、猪木が不在だったため取締役の山本小鉄と社員が対応したが、小鉄が怒り「ふざけるな、100年早い!いきなりアントニオ猪木に挑戦とはなんだ!プロレスをナメるな!」と追い返すも、たけし軍団はニッポン放送の「ビートたけしのオールナイトニッポン」で斎藤立ち合いでオーディションを行い、練習生を確保に成功、練習生の中にはスペル・デルフィン、邪道、外道もおり、当初の予定ではアポロ菅原をコーチ役としてレスラーを育成する「プロレス予備校」的なものを考えていたという。

 しかし、練習生たちでは猪木に到底敵うわけがないしインパクトがない、そこで白羽の矢が立ったのはベイダーことレオン・ホワイトだった、当時のベイダーはAWAのリングに上がっており、AWA世界ヘビー級王者だった王者だったスタン・ハンセンにも挑戦するなど活躍しており、レオンの存在を知った全日本プロレスは獲得を狙っていたが、AWAはWWEの全米侵攻の影響で、全日本におけるAWAの立場も低くなっており、斎藤が長年にわたってAWAに定着してバーン・ガニアとも繋がりが深かったこともあって、斎藤のルートで新日本が獲得することに成功した。

 12月4日の新日本両国大会にダンカンとタカが現れると「みなさん聞いてください、猪木さんに挑戦状を受け取ってほしいんです」と迫るが、館内は「帰れ」コールが巻き起こる。誰もが猪木が相手にしないだろうと思われたが、猪木が「プロレスファンもオレも怒っているぞ!オマエたちが本気なら受けてやるぜ!オマエらの親分にも言っておけ!」と受諾したことで、12月27日の年内最後の両国大会「イヤーエンド・イン・国技館」にTPG(たけしプロレス軍団)勢の参戦が決定となった。

 そしてベイダーは初来日となり、マスクと甲冑を手渡された。マスクと甲冑は『ギブアップまで待てない!ワールドプロレスリング』時代に企画としてテレビ製作側から制作されたキャラクターで少年ファンを獲得するために考えられたものだが、『ギブアップまで待てない!ワールドプロレスリング』が通常のプロレス中継に戻ったことで没となっていたが、そのキャラクターを東スポ側が生かしそうとして誕生したのはビッグバン・ベイダーだった。コスチュームや甲冑を手渡されたベイダーは後に「自分の身に重大なことが起ころうとしている」と予期していたという。

 TPGの刺客はさすがに猪木といきなり対戦させるわけにはいかないとして、どれだけ実力があるのか試す意味でベイダーを斎藤と組ませて藤波辰巳、木村健悟組と対戦させることになったが、ベイダーと斎藤が登場すると、「相手が猪木でないから、現れない」としていたビートたけしまでもリングに上がる。そして、タカとダンカンが「我々の挑戦状を自ら受け取ったのだから、ベイダーと戦うべき人はアントニオ猪木さんのはずです」「あんたらアントニオ猪木の逃げる姿を見に来たのか?あんたら猪木を卑怯者にしていいのか?やらせろーっ!やらせてくださーい!やらせてくれー!」挑発すると、斎藤も「猪木!この男(ベイダー)と戦え!俺がわざわざアメリカから連れてきた男だ!怖いか?猪木!出てこーい!」と挑発する。

この事態に長州が現れて斎藤に詰め寄るも、斎藤も「黙って引き下がれ!言うことを聞け!」と譲らない。長州も前シリーズである「ジャパンカップタッグリーグ戦」で前田日明の顔面蹴りを受けて右前頭洞哲底骨折を負いシリーズを途中欠場、手術を受けており、復帰戦がいきなり猪木との大一番だったこともあって、せっかくのチャンスをだけは、さすがに師匠格の一人である斎藤の頼みでも譲るわけにはいかず、また館内のファンも猪木vs長州を見たいことから、長州を支持した。

 ところが猪木が現れると「受けてやるかコノヤロー!(お客さんに対し)どーですか!(挑戦者と対戦してもいいか)」とアピールしたことで、カードも猪木vs長州から猪木vsベイダーに変更してしまい、猪木は長州に「オマエとの対決はお預けだ」と引き下がるように求めるが、長州は納得しないどころか、猪木vs長州見たさに会場に訪れたファンも納得せず、「やめろコール」が巻き起こる。

 長州やファンの怒りをよそに強行的にカードが変更され、長州は斎藤と組んで藤波組と対戦するが、納得しないファンからは試合中にも関わらず物が投げ込まれる異様な雰囲気となり、試合は長州が6分足らずで木村をリキラリアットで下すも、試合後に長州が「オレが猪木を倒す」とアピールした後で、猪木が現れ、長州との対戦を受けることになり、5分間のインターバルの後で猪木vs長州戦が行われることになった。猪木vs長州が行われたことでファンも納得したかに見えたが、試合も猪木が鉄柱攻撃で流血に追い込み、頭突きから卍固めで捕獲するも、セコンドの馳浩が救出に駆けつけたため、6分6秒で長州の反則負けとなり、あっけない結末にファンの怒りは再び爆発する。そんな状況の中で猪木はベイダーと対戦するも、ベイダーの圧倒的なパワーの前に2分49秒であっさり敗れてしまった。

 この結末にファンが激怒し敗れた猪木に罵声を浴びせるだけでなく物を投げつけ、国技館の升席やイス席を破壊し、中には火を投げつけたファンもいた。ベイダーも後年「火を投げつけたファンに驚いた」「日本のファンは直ぐヒートアップすると暴動になり火をつけるのが当たり前だ」と振り返っていたが、ベイダーも暴動という異様な光景にさぞかし驚いていたという。

 ビートたけしとたけし軍団は新日本側が危険と判断して、ベイダーの試合を見ないまま逃げるよう指示してに会場か去り、猪木は控室へ下がって、田中秀和リングアナが涙ながら「みなさんの気持ちはわかります」が土下座するも、それもファンは会場から退場するどころか怒りは収まらない。と猪木は再び現れて「みんな今日はありがとう。長州選手とは今一度、正々堂々と戦います。みんなの期待を裏切りません」とコメントしたことでファンの怒りはエスカレートし物を投げつけた・・・

 猪木の環状線の理論でいえばプロレスファン層より一般ファン層を取り込むためにどうアピールするかを常々考えていたことを考えると、プロレスファン層をターゲットにした猪木vs長州よりも、一般ファン層をターゲットにしたビートたけしを相手にした方が外の部分である一般層にアピールできると考え、あえてサプライズとハプニングという劇薬を投入し、また猪木自身も世代闘争で長州らの踏み台になることも嫌がっていたこともあって、カード変更を強行したが、ファンが見たかったのは猪木vs長州で、現場のファンがベイダーやビートたけしという劇薬を拒んでしまった。現在ではプロレスとタレントが混同し合うことが当たり前となっていたが、この時点ではまだその土壌は生まれておらず、ファンから拒絶されたことで、大きな読み違いをしてしまった猪木は、長州やベイダーを相手にダブルヘッダーを行うことで軌道修正を図ったが、長州戦は不完全燃焼、ベイダー戦は惨敗に終わったことで軌道修正に失敗し暴動に至ってしまった。さすがの猪木も良かれと思って使った劇薬が悪い作用に働いてしまったことで落胆していたという。だが悪い作用はこれだけでは終わらなかった。

 特番の視聴率もビートたけし効果もあって二桁を記録するなど裏番組である「笑っていいとも年末特大号」に対して健闘はしたが、暴動騒ぎで国技館を管理する日本相撲協会が両国国技館の升席のパイプが破損し、座布団が破かれ、イス席や升席などが破壊されたことで怒り、新日本に対してら多額の損害賠償を請求する。この事態に新日本プロレス側も副社長である坂口征二が相撲協会へ出向いて謝罪したが、相撲協会は「両国国技館の貸し出しを無期限で禁止」を通達し、新日本も2月に予定していた国技館大会を中止にせざる得なくなってしまい大損害を被ってしまう。本来なら間に立つべきテレビ朝日も「相撲ダイジェスト」を放送していた関係もあって新日本を庇うことは出来なかった。

 そしてこの大会をもってUWFとの提携が終わり、新日本は前田を排除して高田延彦、山崎一夫、藤原喜明、木戸修と個人契約をして一本吊りにかかるも、前田はUWF再興に動き始めた。通常枠の「ワールドプロレスリング」も、猪木の投下した劇薬も効果が出ることはなく視聴率も苦戦してしまい、4月からのゴールデンタイムからの降格が決定、また暴動騒ぎを受けてビートたけしもプロレスから撤退、TPGも自然消滅してしまった。

 しかし猪木の投入した劇薬で成果を出したのはベイダーで、劇薬を利用して新日本プロレスのトップ外国人選手へとのしあがり、またTPGの練習生だった邪道、外道も現在では現役を続けつつ新日本の現場を取り仕切る立場となった。おそらくビートたけし本人も邪道、外道のことは憶えていないだろうが、この二人が新日本を取り仕切ることになるとは思わなかったのではないだろうか・・・

 2017年4月に藤波辰爾の「ドラディション」に来日し、ベイダー自身が両国暴動を振り返っていたが、ベイダーにとって両国暴動はまさに修羅場でありのし上るチャンスだった。ベイダーは翌年に死去、2017年の来日が最後の来日となったが、この藤波とベイダーのトークイベントは一生忘れることが出来なくなった思い出となった。
(参考資料 ベースボールマガジン社 日本プロレス事件史Vol.10「暴動・騒乱」両国暴動は新日本プロレスワールドで視聴できます)

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