SWS分裂③5つに分かれた団体のその後・・・


 SWS分裂が決定的になった5月シリーズ開幕戦当日の福井大会に『谷津引退』とマスコミが報じられ、谷津嘉章は先走った報道に怒りつつ引退を全面否定する。ジョージ高野を始めとする9人の選手らが 『谷津嘉章復帰嘆願書』 に署名して、マスコミに向けて披露する。その9人の中には谷津とはジャパンプロレス時代からの仲だった仲野信市は嘆願書にサインしたことで谷津に追随することを決意、これで谷津&キング・ハクのナチュラルパワーズ、北原光騎&仲野の挑龍軍は解散となり、北原はレボリューションに戻らざる得なくなった。

ジョージらが嘆願書を作った理由は天龍が田中氏に「反天龍派が出なけばレボリューションだけでシリーズを強行する」と訴えたことを、田中氏を取り込んでこの谷津だけでなく反天龍派を一掃して、メガネスーパーからの支援を独占する気だと考え、谷津を旗印にして決起してきたのだ。反天龍派のリーダー格に祭り上げられた谷津はジョージらには「天龍や田中社長と話し合う」と説明していたが、谷津が田中氏から裏切られた時点メガネスーパーが支援しての独立話も反故になると見ていたと思う、しかし谷津はプロレス界から去る決心をしていたことから”後のことは知ったことではない”と考え、敢えて本心を明かさなかった。

 シリーズ第2戦ではパライストラvs道場・檄の10人タッグ戦が組まれ、この試合にはナガサキも加わったが、試合後に全員で円陣を組んでパライストラと道場・激の反天龍派の結束をアピールするも、ナガサキはオフの間はアメリカに滞在していたこともあって、SWSで起きたクーデター騒ぎのことはわかっておらず、たまたま試合が組まれて輪に加わっていたに過ぎなかったが、ナガサキの態度も反天龍派が一枚岩でないことを意味しているものだった。

 第2戦のメインでは天龍が阿修羅・原との龍原砲でハク&バーサーカー組と対戦したが、タッグながらハクにフォール負けを喫してしまった、試合後のバックステージインタビューでも「2年間、何をやってきたんだろう。全日本で十何年やって、たった2年でSWS、潰さないよ、潰せるものなら潰してみろ!、誰がこうしたんだよ!?絶対潰さないよ・・・SWS」と涙を流した。天龍にしても初めての団体運営だったことで至らぬところがあったのかもしれないが、団体としてのステータスは高めたと自負していたはずだった。築き上げたものがわずか2年で崩れる・・・天龍にしても悔しかったのかもしれない。

22日、最終戦の後楽園大会で田中氏が会見を行いメガネスーパーのバックアップで天龍派、反天龍派の独立を容認、分裂を既成事実にすると 全て田中氏の目論見通りになった谷津はこの辺で引き時と考えて、仲野と共に引退を発表、嘆願書まで作った反天龍派もトーンダウンしてしまう。引退試合として谷津は仲野と組んでジョージ&俊二の高野兄弟と対戦したが、ファンは裏切り者になった谷津にブーイングを浴びせ、試合後はファンに別れの意味でジャージを投げるも、投げ返されてしまった。

メインは天龍が冬木弘道と組んでカブキ&ハクと対戦し、天龍はパワーボム2連発でハクから勝利も、カブキから毒霧を浴び「まだまだオレたちの戦いは続くぞ!」とエールを送り、またレボリューション全員で四方に深々と礼となって、SWS事実上最後の後楽園大会に幕を閉じるも、会場には天龍の今後を心配したファンが帰ろうとせず残っていた。旗揚げ時にはファンからバッシングを受けた天龍だったが、2年の間にファンがしっかり根付いていた証だった。天龍は居残っていたファンに「オレは、お前達を絶対裏切らないから、ここは帰ってくれ、オレは嘘はつかないよ、信じてくれ、絶対に裏切らないから」と声をかけると、ファンも「信じてます!」「付いていきます!」と温かい声と拍手を送り、天龍もファンの温かみを改めて知った。

 シリーズが終わると会見が開かれ、天龍とジョージ、谷津の引退で道場・檄の道場主となった鶴見五郎が揃い、SWSの活動休止、天龍派と反天龍派が二派に分かれて新団体を設立、メガネスーパーは今後はスポンサーとして支援するとなった。そして残っていた6月シリーズは消化され、SWSは天龍派のWAR、反天龍派によるNOWに分かれて全てが収まったかに見えた。

ところがNOWに参戦するはずだった高野兄弟が8月9日の後楽園で行われたプレ旗揚げ戦に参戦するだけで、NOWから離脱し田中氏を週刊誌でSWS解散の黒幕は田中氏であることを告発する事態が起きてしまう。当初は各道場に年間2億円を払うとして独立を促されたのだが、メガネスーパーはWARには1億円を支援したのに対し、パライストラ&道場・檄にはそれぞれ3000万しか支援されず、年間通してのはずが1年間限りにされたことで、高野兄弟が怒り、谷津から真相を聞き出し、支援の約束を反故にされたとして、知り合いの週刊誌を通じて田中氏を告発したのだ。

田中氏に恩義があるナガサキは黙って金だけは受け取ったものの、田中氏に反旗を翻した高野兄弟はNOWでは使うわけにはいかなくなってしまったが、高野兄弟は元々ナガサキら道場・檄とは一緒にやっていくつもりもなく、またナガサキも高野兄弟とは折り合いが悪かったことから、高野兄弟がNOWに参加しても遅かれ早かれ離脱をしていたのかもしれない。谷津も退職金として受け取るつもりだった2億円も反故にされたことで、田中氏との電話でのやり取りを録音したテープを使って、高野兄弟と組んで田中氏を名誉棄損で告訴しようとしたが、谷津の弁護士だけでなく高野兄弟まで田中氏に丸め込まれてしまって、手を引いてしまい、また孤立した谷津は呆れて一旦プロレス界から身を引いた。

 7月14日に天龍がWARを旗揚げ、遅れること10月26日にNOWが旗揚げするも、WARは早くも新日本プロレスとの対抗戦へ舵を切ったことで順調な滑り出しをしたのに対し、NOWは維新力をエースに立てざる得ず、旗揚げから苦戦を強いられる。高野兄弟も1993年2月にPWCを旗揚げしたが、パライストラの選手らは高野兄弟に追随せず、SWSを旗揚げからすぐ離脱していた高木功を加えたが、 メガネスーパーからの支援を受けられなくなったこともあって、 資金繰りに苦しみ、旗揚げ戦でフロントが売り上げを持ち逃げするなど、早くも苦境に立たされていく。8月には現役復帰した谷津と仲野もSPWFを旗揚げ、SWSは事実上4派に分裂となった。

 これでメガネスーパーが支援する団体は藤原組だけとなったが、SWS分裂の余波は藤原組にも及んだ。藤原組は10月4日にSWSとして開催する予定だった東京ドーム大会を藤原組が譲り受けて開催していたが、メガネスーパー側と船木誠勝、鈴木みのるら選手達との対立し合っていた。そして船木らが藤原喜明と対立したことで藤原組から離脱、船木らの離脱を受けてメガネスーパーも藤原組から撤退し、田中氏もプロレスから全面撤退した。

 その後、メガネスーパーから離れた団体は藤原組を含めて5つとなったが、WARからは石川敬士が離脱して東京プロレス、PWCからはFSR、SPWFからレッスル夢ファクトリー、藤原組からはパンクラス、バトラーツと派生し、団体乱立の一因を作ってしまった。ナガサキのNOWも日本プロレス時代からの先輩だった上田馬之助を招き、上田のルートでタイガー・ジェット・シンが参戦したが、ナガサキも慣れない団体経営に悪戦苦闘してか、たちまち経営が逼迫してしまう。ナガサキは田中氏に追加融資を頼むと、田中氏は無担保、無利息、無期限で融資してくれたが、田中氏の融資も焼け石に水で焦げ付いてしまい、ナガサキが期待していた若手だった直井敏光が福井県の興行先からリング輸送中に交通事故で死亡するなど不運が重なり、NOWは一旦活動を停止、1984年に後に大日本プロレスの会長で当時WARで営業をしていたグレート小鹿と、SWSからフロントとして携わっていた登坂栄児氏と共にNOWの活動を再開させるも、長く続かず再び活動を休止した。

 ナガサキは小鹿、登坂氏と共に大日本プロレスを旗揚げするが、今後の方向性を巡って小鹿と対立して離脱、その後いつの間にかセミリタイア状態となり、ちゃんこ屋を開業したが、田中氏が常連客として度々ナガサキのちゃんこ屋に訪れて交流は続いていた。ナガサキは借りていた3000万円は田中氏は「返せるときに返せばいいから」としていたが、ナガサキは少しずつ返していたという。田中氏もSWSでは人間関係に振り回されていたが、一番信頼を置いていたのは旗揚げ前からSWSに携わってくれたナガサキだったのかもしれない。

 田中氏は2010年に死去、葬儀は密葬にて執り行われたが、後日行われた別れの会にはジョージが参加、亡き故人を偲んだ。2015年11月15日、天龍源一郎の引退試合が両国国技館で行われたが、スポンサーとしてメガネスーパーが協力し、キャンパスマットにはメガネスーパーのロゴが入っていた。

 SWSはブシロードが新日本プロレスを傘下にして経営に参画したように、企業プロレスに先駆けでもあり、プロレス界にとっては大きな力だった。分裂した理由は新日本、全日本から集められた寄せ集めだったからかもしれないが、集まった人間達が企業という大きな力を単なる金づるとしか考えて、力の使い方をわかっていないどころか、奪い合った末に自滅したのが一番の原因かもしれない。

 SPWFを活動休止させた谷津は再び引退したが、手かげた事業で失敗して莫大な借金を背負い、生活の糧にプロレスに復帰せざる得なくなったが、DDTに招かれて月一ながらもレギュラー参戦するも、それが唯一の収入源だったという。
 SWS時代から患っていた糖尿病が原因となって右足を切断、ファンからは応援の声が出ているが、自分は気の毒とは思っても、これまでのことを考えると、同情する気には慣れなかったというのが本音だった。谷津はマサ斎藤のような一匹狼タイプで、団体や徒党を率いるタイプではなかった。そういった意味では、当時の縦社会的な日本のプロレスには馴染めず、いやプロレスそのものを冷めた感じで見ていて、楽しんでいなかったのかもしれない。だが楽しめなかったプロレスが谷津にとって唯一の生活の糧になるとは皮肉だったと思う。谷津に裏切られた長州や天龍は谷津のことをどう思っているかわからない、いやおそらく一生語る気はないかもしれない。

(参考資料 参考資料 宝島社 谷津嘉章著「さらば闘いの日々」、日本スポーツ出版社 小佐野景浩著 「SWSの幻想と実像」ベースボールマガジン社「SWS激闘史」)

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