SWS分裂① ・・・道場制度という派閥闘争

「天龍源一郎が全日本プロレスを離脱…なぜ金権バッシングが起きたのか?」で触れたとおり、SWSは紆余曲折の経て10月18、19日の横浜アリーナにて旗揚げ戦を迎えた。旗揚げ戦はテレビ東京で放送されたものの、WOWOWが月一ペースで放送し、日本でのビジネスパートナーを欲していたWWF(WWE)とも提携開始するなど、表向きは順風満帆なスタートを切ったかと思われていた。

SWSが旗揚げするにあたって天龍は相撲にちなんだ「部屋別制度」という、他団体には存在しなかった画期的なシステムを採用しており、それぞれの部屋で切磋琢磨して競い合い、SWSを盛り立てていこうというのが当初の構想のはずだったが、天龍を中心として元天龍同盟や全日本出身者で固めた「レボリューション」、ジョージ高野を中心として元新日本プロレス出身者で固めた「パライストラ」、若松市政とケンドー・ナガサキを中心とした元ジャパンプロレスや元国際プロレス、フリーなどで固めた「道場・檄」と3部屋が設置されたものの、これが派閥へと発展してしまい、道場同士で派閥闘争が起きるようになっていた。

SWSの現場責任者であるブッカーには選手の中で一番キャリアの長く、全日本プロレスでもブッカーを務めていたザ・グレート・カブキが就任したが、カブキは「レボリューション」所属だったこともあり、天龍中心とした「レボリューション」に比重を置いたマッチメークをするため、「パライストラ」「道場・檄」から反発を受けていた。カブキは全日本プロレス時代から天龍をSWSに集まった他のレスラーよりも力量やカリスマ性を高く評価しており、対戦カードも天龍と相談した上で決めていたが、反天龍の急先鋒であるジョージなどの元新日本派閥は天龍を評価しておらず、”天龍エースとして盛り上げるために移籍したわけじゃない”と反発していた、ジョージにしてみれば天龍と対戦したのは1度だけで、親交があったわけでなく、天龍という人間やレスラー像を全く知らなかったこともあって、天龍をエースに押し上げることに納得していなかった。

 そのため社長である田中八郎氏に直訴する選手もおり、田中氏も直訴を聞き入れて天龍とカブキの決めたことに口出してトラブルになったこともあった。本来なら天龍を招いた張本人であるケンドー・ナガサキや若松市政が双方に間に取り持ってをフォローしなければいけなかったのだが、ナガサキはアメリカに住居を置いていたためオフの間はアメリカに戻ってしまっており、若松は夫人が重病になってしまったため天龍をフォローするどころではなかった。

1989年12月にメガネスーパーがスポンサーになっていた新UWFは分裂、199年2月に藤原喜明と船木誠勝、鈴木みのるらがメガネスーパーのバックアップを受け「プロフェッショナルレスリング藤原組」を旗揚げ、田中八郎氏は早速SWSと提携させ、藤原組も一つの部屋として扱い、また佐藤昭雄のルートでWWFとの提携も開始するも、WWFとの提携も全日本プロレス時代からの関係である天龍、カブキ、佐藤を中心にして進められたこともあって、「パライストラ」や「道場・檄」は”WWFに大金を払うことはない!”と猛反発する。

 1990年3月30日にSWSは東京ドーム大会を開催し、藤原組の参戦やWWFの協力もあってどうにか成功させたものの、4月1日の神戸ワールド記念ホール大会で北尾光司がビック・ジョン・テンタ相手にセメントを仕掛けただけでなく、試合後に「八百長野郎!」と叫んでしまい、また藤原組から参戦していた鈴木みのるとアポロ菅原が全くかみ合わず、菅原が試合を放棄するという不穏試合をやらかしてしまうなど事件が続出する。

全ては天龍とカブキが主導で決めたマッチメークに対する反発から起きたことであったことから、天龍は取締役、カブキはブッカー降板を田中氏に申し入れる。田中氏は最初こそは「八百長発言」をした北尾を罰金と謹慎だけで済ませようとしたが、「パライストラ」「道場・檄」が大甘裁定に反発し、SWS内で緊急会議で天龍とカブキが役職辞任を申し入れたことで、田中氏は北尾を解雇せざる得ず、田中氏はSWSの社長から退任、天龍を社長に据えた。田中氏が天龍に委ねたのは人望もあって男気のある天龍に全てをまとめてもらおうというと考えたうえでの人事だった。

 天龍社長体制になっても、カブキブッカー体制は変わらなかったが、部屋別制度は一時棚上げされ、道場の枠を越えたカード編成に変わり、また天龍自身も龍原砲の盟友だった阿修羅・原をカンバックさせ、軽量級部門にウルティモ・ドラゴンを獲得するなど精力的に動き、特に龍原砲の復活はファンに支持され、SWSもようやく安定したかと思われていたが、原の復帰の際にも反天龍派から反発を受けながらも、天龍自身も反対の声を押し切ってカンバックさせたことから、反天龍派は決して天龍を支持したわけではなかった。(続く)

(参考資料 日本スポーツ新聞社 小佐野景浩著「SWSの幻想と実情」)

 

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