負けたら引退!?昭和・新日本の最後の名勝負!アントニオ猪木vs藤波辰巳!

1988年8月8日、横浜文化体育館にてIWGPヘビー級王者だった藤波辰巳(辰爾)にアントニオ猪木が挑戦した。

当時の新日本プロレスは1987年12月27日の両国暴動事件で、新日本は国技館使用を自粛せざる得なくなり、また月曜夜8時から不定期放送枠の土曜夕方4時に「ワールドプロレスリング」に降格、また新日本を離脱した前田日明が新生UWFを旗揚げして一大ムーブメントを起こし、またライバル団体である全日本プロレスも天龍源一郎による天龍革命で活性化するなど、新日本は苦境を強いられていた。

1988年4月22日、沖縄県立奥武山公園体育館大会で猪木と組んでマサ斎藤&ビックバン・ベイダーとタッグで対戦、試合は猪木組が反則勝ちを収めるが、ベイダー組に猪木がやられ放題という内容だったこともあり、業を煮やした藤波が「(猪木エース体制が)何年続いたんですか!何年これが!」と自身の進退をかけてベイダーとの一騎打ちを直訴して髪を切って”飛龍革命”を掲げる。27日の大阪府立体育会館大会で行われる予定だった猪木vsベイダーは、猪木が左足の骨折ということで欠場したため、藤波がその代役ということでベイダーと対戦することになったが、実は猪木の欠場は足の骨折ではなく、糖尿病の悪化で、試合に出るのがやっとだったためベイダーと対戦できる状態ではなかったのだ。今思えば藤波が”飛龍革命”という行動に打って出た理由は、猪木の状態をわかっていたからだったのかもしれない。

 ノンタイトルながらも藤波はベイダーをリングアウトで破ると、5月8日に両国に代わって都内の大会場として使用していた有明コロシアムで反則勝ちながらもベイダーを破ってIWGPヘビー級王座を奪取、27日の仙台では長州と防衛戦を行うも、試合中に足を痛めてしまい試合が出来る状態でなくなったため無効試合となり、王座は一時預かりとなるも、6月24日の大阪での再戦で長州を破り王座を奪還、26日の名古屋ではベイダーの挑戦を受け、新日本で初めてベイダーから3カウントを奪い王座を防衛するなど、誰もが藤波時代到来かと思われていた。

 欠場していた猪木が復帰すると、IWGP王座挑戦者決定リーグ戦にエントリーしたが、7月21日の小樽大会では6人タッグ、21日の札幌でのリーグ公式戦と2日にわたって長州に初フォール負けを喫するというハプニングもあった発生して猪木引退説に拍車をかける。それでも猪木は29日の有明コロシアム大会でベイダーを腕固めでギブアップを奪って初勝利を奪いリーグを優勝、挑戦者という形で愛弟子である藤波と対戦することになった。

 二人の決戦の舞台は8月8日、猪木の地元である神奈川・横浜の横浜文化体育館、興行のタイトル名も「スーパー・マンデー・ナイト・イン・ヨコハマ」と銘打たれ、テレビ朝日も月曜日7時半から9時までとゴールデンタイムによる特番を組み、実況には金曜8時時代の実況担当である古館伊一郎が「猪木さんと最後の試合は自分が実況すると約束がある」と実況を買って出て、解説である山本小鉄とのゴールルデンコンビが復活、新聞のテレビ欄にもまるで猪木が引退するかのように「アントニオ猪木最後のリングか!?落日の闘魂は見たくない!」とキャッチコピーがついた。

 両者の握手から開始となるが、猪木が浴びせ蹴りを狙うと、避けた藤波がキックからコーナーに押し込む、藤波がミドルキックからフィンガーロックの攻防、藤波が首投げを仕掛ければ猪木はヘッドシザースで切り返すが、藤波は倒立で捕らえ、バックを奪えば、すかさずバックを奪った猪木は魔性のスリーパーで捕獲、藤波が一瞬意識を失いかけたところで、猪木が延髄斬りも、キャッチした藤波はジャイアントスイングで回転する。
 藤波は足四の字固めで捕獲、長時間絞り上げ、さすがの猪木も苦悶の表情を浮かべるも、必死でリバースしてロープに逃れる。猪木はフィンガーロックからキックを牽制にしてアームロックからスリーパーで捕獲するが、藤波は脇固めで切り返し、腕固めで捕らえるも、猪木はバックを奪いジャーマンを狙うが、藤波が逃れる。
 猪木は藤波に組み付いて羽折り固めで捕獲しつつ、裏十字固めへ移行するが、藤波は逆片エビ固めからリバースインディアンデスロックを狙うが、猪木は切り返して同じ技を狙うと、藤波は慌てて逃れる。藤波はローキックからドラゴンスクリューも、猪木は切り返して腕十字で捕らえてキーロックへ移行、猪木は長時間絞りあげるが、藤波はロープに逃れる。


 離れた瞬間に猪木が延髄斬りも、避けた藤波は猪木をロープへ振ってドロップキック、ボディースラムからヘッドロックで捕らえると、猪木はバックドロップで投げ、一瞬の隙も逃さない。
 スタンディングになると藤波がビンタの連打から、キックの連打で猪木をコーナーへ押し込み、ヘッドロックからグラウンドで捕らえるも、猪木はブリッジから押し返し、リバーススープレックスで投げヘッドシザースで捕らてから、リバースインディアンデスロック、そのまま弓矢固めへと移行しつつ、再びリバースインディアンデスロックへと戻してから弓矢固めへ移行すると、切り返した藤波はドラゴンスリーパーで捕らえ、技を解いて立てと猪木を挑発する。


 藤波はバックドロップを狙うが、猪木は脇固めで切り返す、藤波は胴絞めスリーパーで捕獲、チョーク気味だったためミスター高橋レフェリーがチェックするも、藤波はスリーパーだけは解いてボディーシザースで捕らえるが、猪木もレッグロックで捕らえ、アキレス腱固めへと移行する。
 今度は互いにロープワークも、組み付いた藤波が奇襲を仕掛けるべく丸め込み、猪木は慌ててキックアウトして、藤波が悔しがる。そこで猪木はすかさすコブラツイストで捕らえ、スタンディングでロックアップで組み合う。藤波はバックを奪ってスリーパーを狙うが、猪木はショルダーアームブリーカーを牽制にしてジャーマンスープレックスホールドで投げ、キックアウトした藤波に浴びせ蹴りを炸裂させる。

 藤波は一旦場外へ逃れ、リングに戻ってステップを取って落ち着きを取り戻して組み合い、コーナーに押し込んで一本足頭突きからドラゴンバックブリーカー、足四の字固めで捕らえるが、猪木は「足を折ってみろ!」と藤波にプレッシャーをかける。猪木がリバースしてロープに逃れるが、二人はそのまま場外へ転落も、足四の字固めは解かれない、やっとセコンドが足四の字を解いたが、これが勝負の分かれ目となった。
 先にリングに戻った藤波はエプロンの猪木に強襲をかけてサソリ固めで捕らえる。サソリ固めを解いた藤波はフロントスリーパーで捕らえるが、猪木はブレーンバスターで投げ、コーナーから普段見せることがなかったミサイルキックを発射する。


 藤波はドロップキックも猪木は避ける。藤波はヘッドシザースで捕らえるが、キャッチした猪木はダブルレッグロックで捕らえ、ボディースラム狙いは藤波は首固めで丸め込み、キックアウトした猪木にアリキックを連発してからレッグロックで捕らえるが、猪木がロープに逃れ、エプロンに出た藤波をロープ越しでスリーパーで捕獲。藤波はエプロンでダウンする。
 猪木はミサイルキックを放った際に左足を痛めるも、猪木は構わず藤波を卍固めで捕らえるが、猪木の左足の痛みのおかげで、藤波が逃れることが出来るとバックドロップから掟破りの卍固めを敢行、だが猪木もこれが本当の卍固めだといわんばかりに卍固めで切り返す。

 猪木はスタンディングで左右の張り手から延髄斬りを炸裂させ、藤波は思わずダウンすると、起き上がった藤波に頭突きの連打からブレーンバスターで投げ、アルゼンチンバックブリーカーで担ぎあげ、ヘッドロックで切り返しを狙う藤波にバックドロップで投げる。

 藤波はパイルドライバーを決めるが両者ダウン、ドロップキックは藤波が避けるとブレーンバスターで投げてから首四の字で捕らえてから三角絞めへと移行するが、猪木はロープに逃れると、藤波はローキックの連打、しかしキャッチした猪木はシュミット流バックブリーカーからフライングにードロップを投下したところで残り時間が15分となる。
 猪木は再度フライングにードロップを狙うが、追いかけた藤波は雪崩式ブレーンバスターを狙うも、猪木はロープを掴んで必死で逃れる。リング中央でスタンディングとなり、藤波はロックアップから首投げ、腕十字で捕らえるが、猪木は腕十字で切り返し、スリーパーへ移行して絞めあげる。
 猪木はヘッドロックから素早いグラウンドの攻防、藤波はレッグロックで捕らえたところで残り試合時間は10分を過ぎてしまう。猪木はボディーシザースで捕らえて藤波はロープに逃れる。猪木は首投げからスリーパーで捕らえ、技を解いたところでナックルアローを浴びせるが、藤波はドロップキックで応戦する。
 猪木はヘッドシザースホイップからスリーパーで捕らえる。そして藤波をコーナーで押し込むと、高橋レフェリーが分けた隙を突いてナックルで応戦するが、猪木は甘いといわんばかりに藤波を倒して足四の字固めで捕らえる。藤波は必死でリバースしてロープに逃れるも、猪木は足めがけてストンピング、アリキックの連打に対して、バックを奪った藤波は再びドラゴンスリーパーで捕らえ、胴絞め式ドラゴンスリーパーへと移行するも、猪木は切り返して押さえ込む。


 残り5分となり、猪木はキチンシンクから飛行機投げ、ダブルアームスープレックスで投げるが、藤波は股避けで捕らえるも、ボディースラム狙いを猪木はナックルを浴びせ、逆水平を放っていく猪木に卍固めで捕らえる。技が崩れると藤波はラリアットを炸裂させ、ドラゴンスープレックスを狙うが、逃れた猪木はショルダータックルからブレーンバスター、バックドロップ、しかしフライングにードロップ狙いは藤波がデットリードライブで阻止すると、両者ダウンから猪木が卍固めで捕らえたところで残り時間は1分となる。
 藤波はコブラツイストから猪木もコブラツイストで切り返してグラウンド卍固めへ移行、猪木は何度もカバーするが、60分フルタイムとなって引き分けで、藤波の防衛となった。
 試合後は猪木が藤波の腰にベルトを巻き「よくやったな」と声をかけ、長州が猪木、越中が藤波を肩車して二人は握手でノーサイドとなり、猪木は自身も感動したのか、涙を流し、館内は猪木コールが巻き起こり感動の幕切れとなった。

 特番枠は生中継だったため途中で終わり、続きは通常枠の「ワールドプロレスリング」での放送となり、感動のシーンのあとでサザンオールスターズの「旅姿六人衆」が流れたことが印象に残った。

 藤波は後年「あの試合の夜、風呂に入って、ゆっくり試合を振り返ったよ。あそこまでよく頑張れたな、という満足感。そして、あそこまでやりきれやのはやっぱり猪木さんのおかげなんだなと、あらためて尊敬したんだよね、猪木さんとのシングルはそんなに多くない、8・8の試合はこれまでのいろいろな歴史を経てきてのもので集大成だった。ましてや僕はIWGP王者で、猪木さんが挑戦者としてリングに上がってくること自体、ファンもマスコミも想像しなかっただろうし、この時点で猪木さんは相当な覚悟で挑んできたと思うんですよ。僕はこのとき35歳、猪木さんは45歳です。僕は体調が良い頃だから、コンディションが出来上がっている。猪木さんは個人のこととか、政治に足を踏み入れる噂がちらほら出始めていて、とにかく忙しい人だからコンディションつくりは出来ていないだろと思っていた。ところがやっているうちに猪木さん、どんどん本来のアントニオ猪木が出てくるんだよね」「(後半で)すでに汗がだいぶ出てしまっているせいか、体がだるくなってきたんですよ。こういうときの猪木さんは、自分を奮起させるためにワー!と動くんです。普通はスタミナを温存するじゃないですか?猪木さんは違う。疲れているときはなおさら相手を威嚇するように動くんです」と答えていた。確かに糖尿病で体調不安がささやかれていた猪木が後半からの粘り、いやそれまで以上に動けており、残り1分となると猪木は何度もカバーを奪って自身が攻勢だったことを示すなど、残り10分間の間は猪木が藤波を追い詰めていたシーンが目立っていた。また全体的に見ても猪木は所々で藤波の甘さを指摘するかのようなシーンもあった。猪木はベルトは明け渡しても、まだ自分自身はいけるということを充分に示した試合だったのではないだろうか…

 周囲は藤波は猪木には勝てなかったが、時間切れ引き分けとなったことで、藤波に世代交代されたと判断、藤波自身も猪木と60分フルタイム戦い抜いたことで満足し、自分もこれからは藤波の時代だと思っていた。ところが猪木は藤波との決戦を終えた翌日に「世界構想」をプランを掲げて海外へ旅立ち、帰国すると「国内の出番を少ないくし、海外に進出したい、引退は自分が決めることであって、他人の制約を受けない、本心としては自由の身になって思い切ったことをやりたい」と社長は辞任しフリーになっていることを明かす。

 22日には猪木とは完全に疎遠となっていたと思われていた新間寿氏が猪木と和解を果たし、「アントニオ猪木を絶対引退させない会」を発足させ、新間氏は猪木の世界ツアー構想を発表、26日の後楽園大会では長州がシューズを持って出場しなかった猪木に詰め寄り、新日本復帰を呼びかける、新日本も藤波への世代交代を図ろうとしたが、猪木の行動は無視できず、最終的に猪木の思惑通りに猪木の引退ムードはかき消されてしまった。

  猪木はソ連のレスラーを参戦させるペレストロイカ路線を掲げると、王者の藤波はアメリカ路線を掲げ、ザ・クラップラーを破りPNWヘビー級王座を奪取、WCWAヘビー級王者だったケリー・フォン・エリックにも挑戦した破り三冠王となるが、1989年4月24日の東京ドーム大会で行われた「日米ソ三国トーナメント」開催に向けて、IWGPヘビー級王座がかけられることになり、藤波は王座返上し、この時点で飛龍革命は終わった。

 猪木が政界進出を受けて、新日本はやっと藤波と長州が中心の体制になるかと思われたが、6月に藤波がベイダーとの試合中に腰を負傷、以降1年半に渡って長期欠場を余儀なくされ、藤波の欠場の間は長州が現場を取り仕切ったことで、長州路線が確立されてしまった。

 新日本プロレスは猪木の後継者は藤波、全日本は馬場の後継者はジャンボ鶴田とされていたはずだったが、藤波と鶴田の共通点は師匠を押しのけてまで天下を取る気はなかったこと、藤波も一時はエースになることを考えたが、それは猪木を気遣ってのことで、猪木を押しのける気はなかった。馬場も鶴田ではなく、天龍や三沢光晴を後継者に考えるようになっていたが、今思えば8・8の猪木vs藤波の時点で、猪木は藤波ではなく長州に新日本を任せるべきなのではと考えたのではないだろうか…藤波と鶴田に馬場、猪木を押しのけるという野心があれば、マット界も変わったものになっていたかもしれない。

 2019年8月8日、横浜文化体育館で新日本プロレス「G1 CLIMAX29」の公式戦が開催されたが、建物の老朽化で2020年に閉鎖が決定しているという、昭和も1989年1月に終わって平成に代わった。猪木vs藤波はまさしく昭和新日本の最後の名勝負であり、会場は消えていくが、二人の戦いは永遠に語りづかれる。

(参考資料 ベースボールマガジン社「日本プロレス事件史Vol.23 日本人対決の衝撃」新日本プロレスワールド 猪木vs藤波 藤波の髪切り事件は新日本プロレスワールドで視聴できます)

 

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