カシン本で思ったこと、IGFは時間の止まった空間だった

ケンドーカシンの著書である「50歳で初めてハローワークに行った僕がニューヨーク証券取引所に上場する企業でゲストコーチを務めるまで」を購入して読んだが、よく考えればIGFを観戦したことはなく、観戦したのはIGFがNEWになってからだった。

IGFのプロレスは決して否定しているわけでなく、アントニオ猪木がかつて行った異種格闘技戦のようなプロレスと位置づけて見ていたが、観戦する気になれなかった。理由は自分は基本的に招待券ではなくチケットを買って観戦する主義で、IGFは招待券が横行していると聞いていたことから、金を出してまで見にいく必要はないかなと考えていたからだった。

NEWになって観戦する気になったのは、ちょうど三重県津大会が開催されることもあり、近くに来るなら行ってみようかという感覚でチケットを購入して観戦したが、NEWはちょうど猪木の「整理発言」「IGF撤退」からゴタゴタ続きで、エースと目されていた鈴川真一も猪木の説得で弓引けず離脱、奥田啓介と定アキラをエースとして押し立てようとしていたが、KENSOや青木真也の試合には目を見張ったものの、金本浩二や田中稔にやられ放題でキャリア不足の東方英雄伝の選手、メインでは奥田が勝ったものの、エースとしては力量不足、おまけに休憩中に「一番前の席があるよ」と招待券を押し付けられそうになり、大会が終わった後は招待券が大量に捨てられてあるなど、この団体は大丈夫なのかと思ったら、この津大会でNEWは最後となった。実は英雄伝がNOAHと提携していた際にも、NOAHのチケットの一部が東方英雄伝のスポンサーにまとめ買いされていたのか、招待券として中国人客に配られ、その光景を自分は目の当たりにしていたが、NEWのことを思い出してしまい、”この人たちはもう1度NOAHを見てくれるのだろうか”と思うぐらいだった

以前から猪木時代からIGFはスポンサープロレスで、新日本プロレスのように「ファンを育てる」サポーター制ではなく、スポンサーが大量にチケットを買って招待券として渡す、今で言う昭和のやり方で通していた。サイモン氏も猪木ファンだけでなくIGFのファンを育てなければいけないということはわかっていたはずだったが、スポンサーを集めてくるのはあくまで猪木だったこともあり、猪木には意見することが出来ず、また猪木が外部から次々人を引き入れてしまうことから、猪木を巡る権力争いの一因にもなっていたが、新日本で起きていたことがIGFになっても続いていたということになる。

 現在のプロレス団体は新日本プロレスを始めとする各団体は企業化され、経営もガラス張りにすることで改善されていったが、猪木の周りだけは昭和のままで時間が止まっており、平成になってもそれは変わっていなかった。おそらく経理もガラス張りにされておらず、どんぶり勘定のままだったのだろう。猪木がIGFを旗揚げするときに何にコンプレックスを抱いていたのか、時代に対するコンプレックスで、これまで時代を掌に乗せていた猪木も時代についていけなり、外から新しい常識を用いられようとしても、時代についていけなくなった猪木は自身の常識を振りかざして握り潰し、時代が変わっていくことに歯止めをかけようとした。

 猪木から新日本を離れたことをきっかけに、新日本は外から新しい常識が用いられるようになって、やっと時代が進むことが出来たが、IGFは分裂というか、今思えば自滅で、猪木からサイモン氏は東方英雄伝を立ち上げたが、サポーター制を取り入れなければいけないとわかっていても、実現しなかったところを見るとノウハウがわかっていなかったのか、スポンサープロレスから脱却することは出来なかった。

そのIGFもプロレスが儲からないと考えたのか、パン屋「銀座に志かわ」に変わってしまい、IGFのスタッフもそっちのほうか儲かると考えたのか、ほとんどが移ってしまい、プロレスを取ったサイモン氏は英雄伝を去らざる得なくなったが、去った後で東方英雄伝のHPも閉鎖、WWEまで行ったワンビンを含めた選手らも散り散りとなったが、サイモン氏が去る前後の時点で英雄伝は続ける意志はなかったのかもしれない。 「銀座に志かわ」は津にもあるから、いつか買いに行こうかな…

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