長州力が夏男になった1996年・・・ G1 CLIMAX全勝優勝!

1996年8月、第6回目となった「G1 CLIMAX」が開催された。

<出場選手>
【Aブロック】 長州力、佐々木健介、天山広吉、橋本真也、平田淳嗣
【Bブロック】蝶野正洋、武藤敬司、越中詩郎、山崎一夫、小島聡

 驚かされたのは長州の出場だった。この頃の長州は現場監督として永島勝司氏と共に現場で辣腕振るっており、橋本、武藤、健介、狼群団となっていた蝶野にメインを任せて一歩引いた立場を取っていた。

 長州がG1に出場する理由は、長州の口から今でも出ることはない、当初はUWFインターナショナルから選手が出る予定だったが、なぜか長州になったという。長州は第1、4回とG1に2度参戦したが、1度も優勝しておらず、第1回では全敗で終わっていたこともあって、総当りのリーグ戦をあまり得意としていなかった。
 長州は1993年にアキレス腱を断裂、自慢だった下半身の強さに衰えが見え始め、第6回のG1を迎えた頃には45歳となっていたことから、これがラストチャンスと考えていたのかもしれない。

 営業的には長州の参戦は大歓迎だったが、選手達は顔色を青ざめるほど動揺し、特に長州嫌いだった橋本も長州のエントリーを意識せざる得なかった。G1は8月2日の両国から開幕したが、長州は開幕戦でいきなり橋本と対戦する。橋本は5月の東京ドーム大会で高田延彦を降してIWGPヘビー級王座を奪取、第2次政権を打ち立てていた。試合も長州がブレーンバスターからサソリ固めを狙うが、逃れた橋本は袈裟斬りチョップ、ミドルキックを乱打、さすがの長州も「痛え!」と叫んでしまう。橋本はDDTからキックを浴びせ、ニールキックで勝負に出るが、両手で叩き落した長州がリキラリアットを連発、橋本は『絶対倒れない!』と意地で倒れなかったが、5発目のリキラリアットで倒れて3カウントとなるも、橋本も右膝を痛めたが、長州自身も左膝を痛めてしまい、誰もが”長州はG1を乗り切れるのか”と懸念した。

 長州は2日目で天山と対戦、天山のダイビングヘッドバット2連発を喰らった長州だったが、すぐ起き上がった長州はリキラリアットを連発して3カウントを奪い、勢いで押し切って勝利、また3日目は平田戦が予定されていたが、平田が左膝を負傷して欠場となって不戦勝となり(この日は長州も試合せず)、この不戦勝が長州にとって追い風となった。

 4日目には長州は健介と対戦、誰もが愛弟子である健介が師匠越えを果たし、長州にストップをかけると思われたが、健介の逆一本背負いを覆いかぶさった長州がスリーパーで絞めあげギブアップを奪い、全勝でAブロックを突破するが、優勝決定戦の相手はこれまで3度G1を優勝している”夏男”蝶野だった。

 この頃の蝶野は天山、ヒロと共に狼群団を率い、ヒールとしてブレイクしつつあった。蝶野はリーグ戦では武藤とトップで同点となり、最終戦で優勝戦進出者決定戦に持ち込んで首固めで破っていたことから、優勝決定戦で2試合目を迎えていた。

 開始から蝶野が猛ラッシュをかけストンピングの連打を浴びせ、掟破りのサソリ固めを狙って長州に揺さぶりをかける。スタンディングで長州がキックやナックルを浴びせれば、蝶野もサミングで応戦、マンハッタンドロップを決めるが、長州はバックドロップ3連発で応戦、蝶野もたまらず場外へ逃れる。
 リングに戻ると長州はフライングメイヤーからフロントキック、ナックルを連発して蝶野はダウン、長州は構わずストンピングを連打するが、蝶野は長州の痛めた左膝にタックルを浴びせ、関節蹴りの連打からサイキック、トーホールドで左足攻めで一気に流れを変えSTFで捕獲する。
 長州はロープに逃れるが、蝶野は長州の左膝を膝固めで捕獲、長州は張り手で逃れるも、蝶野は長州の左膝にニードロップ、ケンカキックを連発したところで、ライバルである藤波辰爾がリングサイドに駆けつけ、長州のセコンドに着く。
 蝶野はダイビングショルダーを狙いにコーナーへ昇るが、追いかけた長州はトップコーナーからの雪崩式ブレーンバスアーを敢行、ところがすぐ起き上がった蝶野はレッグロックからSTFで捕獲、リング中央に決まったこともあって長州は絶体絶命にまで追い詰められる。
 長州はやっとロープに逃れるが、場外へ転落しさすがの長州も心が折れかけたが、藤波が長州を起こしてビンタをかまして気合を入れ、ライバルから気合を注入された長州はリングに戻る。
 リングに戻っても蝶野の攻勢は続きパイルドライバーを連発、再度STFで捕獲するが、長州はロープに逃れ、リング下から藤波が再び長州に激を飛ばす。蝶野はケンカキックを連発しカバーするが、長州は意地でカウント1でキックアウトすると、再びケンカキックを喰らったところでロープへ走った長州はリキラリアットを連発、まさかの攻撃を受けた蝶野にすかさずサソリ固めで捕らえ、自らサソリ固めを解いた長州はリキラリアットからサソリ固めで再び捕らえ、蝶野はギブアップ、長州が全勝優勝という偉業を達成した。

 試合後のバックステージではアントニオ猪木だけでなく坂口征二からも祝福を受けたが、インタビューでは「オレは今回、オレ一人で頑張ってきた。誰にも感謝するつもりはない」「なぜ健介はオレの痛めている左膝を攻めなかったんだ、なぜ攻めることが出来なかったんだ」「オレはギブアップしない、橋本に殺されようが、自分のコンディションを作り上げながら優勝はオレがもらうと信じていた。俺は今の自分に100点をつけるよ」と厳しい姿勢を貫いていた。

 長州はなぜG1に挑んだのか、絶頂期である橋本や蝶野、武藤、健介相手にどこまでやれるのかの挑戦でもあり、長州はその挑戦に勝った。「オレ一人で頑張ってきた」と強がっていたが、ライバルである藤波の激もあったからこそ蝶野を破ることが出来たのではないだろうか・・・そういった意味では第6回のG1は長州、藤波世代の勝利だった。

 G1を終えて9月シリーズである「G1 CLIMAX SPECIAL」が開催され、このシリーズからWCWで修行していた中西学がクロサワとして凱旋、9番勝負が組まれ、長州は第5戦目で対戦するが、アルゼンチンバックブリーカーであっさりギブアップ負けを喫し、WCW勢を交えた日米対抗トーナメントでも1回戦でスコット・ノートンと対戦したが5分であっさり敗れ、ノートン戦を生で見ていた自分はG1での輝きはどこへいったんだと思っていたが、長州の中ではG1が精一杯だったのかもしれない。

 1997年1月4日の東京ドームで長州はG1覇者としてIWGPヘビー級王者だった橋本に挑み、長州は垂直落下式DDTで完敗を喫し、長州のIWGP挑戦はこれが最後となった。そして引退を表明し1998年1月4日の東京ドームで1度目の引退を行った。

 そして26日の後楽園で長州は2度目に引退を行う、1度目は余力を残しての引退だったが、今度は長州自身も気力体力、年齢の限界を感じた上での引退であり、おそらく2度とリングにはあがることはないだろう。自分は長州力最後の試合をじっくり見定める。

(参考資料、日本プロレス事件史Vol.23「最強決定戦!」新日本プロレスワールド、長州vs蝶野戦は新日本プロレスワールドで視聴できます)

 

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