友情タッグの崩壊…天山と飯塚の血で血を争う抗争はここから始まった!


 2008年4月27日、大阪府立体育会館で真壁刀義、矢野通の保持するIWGPタッグ王座に天山広吉、飯塚高史の友情コンビが挑戦した。

 2006年7月17日、月寒グリーンドーム大会で行われる予定だったIWGPヘビー級選手権が王者のブロック・レスナーがドタキャンする事態が起き、また藤波辰爾も辞表提出、西村修と田中秀和リングアナが設立した無我ワールドプロレスリングに参加、ユークスの経営再建に反発する猪木が格闘技イベント「イノキゲノム」を推進するなど、ユークス体制になっても新日本プロレスはまだまだ混乱続きだった。

 混乱続きでファン離れが起きているのにも関わらず、猪木の顔色ばかり伺うサイモン・ケリー社長に対し蝶野正洋が不満を露わにするも、共にIWGPタッグ王座を保持していた天山は「あくまで社長を立てるべき」と蝶野に反発したことで二人は対立、9月24日の大阪府立体育会館大会で二人は対戦したが、試合前にリングに上がったサイモン氏を蝶野が襲撃する事態が起きる。

 この蝶野の行為に天山は怒り、フリーとして参戦していた越中詩郎と結託、これに越中とタッグを組んでいた真壁刀義、越中&真壁と抗争していた石井智宏、矢野通、本間朋晃が合流、新ユニットGBHを結成する。

 しかし2007年に入ると天山は前年末から痛めていた首の負傷が悪化し始め、この年に開催されたG1 CLIMAXでも負け越しで不振に終わるだけでなく、「リングが怖い」と弱音を吐くようになる。またGBHも蝶野の勧誘を受けて越中が離脱、代わりに邪道、外道が加わるも、天山は10月8日の両国大会で凱旋帰国したばかりの後藤洋央紀の新技である牛殺しを受けて首に大ダメージを負ってしまい、負傷が更に悪化、長期欠場を余儀なくされる。

 天山不在の間のGBHは真壁が取り仕切ることになったが、真壁は新日本出場の傍ら金村キンタローのアパッチプロレス軍に外敵として参戦するようになってからヒールに開眼し始め、ファンから支持を集めだしたことで、GBHも天山のユニットから真壁のユニットへと変わりはじめていた。そして2008年2月17日両国大会から天山が復帰して邪道、外道、石井と組んで長州力、蝶野、越中、スーパー・ストロングマシンらレジェンドと対戦、石井が蝶野に敗れた後で天山が味方の三人に襲撃されるクーデターが勃発、袋叩きにされた天山はGBHから追放されてしまうが、袋叩きにされる天山を救ったのは飯塚だった。だが真壁らに裏切られたことで人間不信に陥っていた天山は相手にせず一人で退場していった。

 天山は3月9日愛知では石井、13日の和歌山では矢野と対戦するが、GBHに再三襲撃を受ける天山を飯塚は身を挺してかばい救出、最初は飯塚の行動に天山も「ウザイ」と突き放していたが、13日の姫路で飯塚が邪道と対戦すると、飯塚を襲撃するGBHに今度は天山が救出に駆けつけ身を挺してかばったことで信頼関係が生まれ、遂に二人は握手をかわし、タッグ結成となった。

 3月17日の鳥取から二人はタッグを組むとGBH相手に連勝、天山がイス攻撃の窮地に立たされると飯塚は身を挺してかばい、3月23日の尼崎では誕生日を迎えた天山に飯塚はバースデーケーキをプレゼントするだけでなく、バースデーソングまで唄うなど、二人の友情は深まり、3月30日後楽園ではIWGPタッグ王座を保持していた真壁&矢野からノンタイトルながらも勝利を収めたことで、4月27日の大阪府立体育会館大会で王座をかけて対戦となった。

 大阪大会は自分も観戦、2月17日の両国でカート・アングルを破り三代目IWGPベルト回収に成功したIWGPヘビー級王者の中邑真輔に全日本プロレスの所属だった武藤敬司、IWGPジュニアヘビー級王者だった井上亘には提携していたTNAからクリストファー・ダニエルズが挑戦する3大タイトル戦が組まれた。2008年ごろになると猪木は既にサイモン・ケリー氏と共にIGFを旗揚げするために離脱しており、ユークス体制もやっと落ち着きかけたところだった。

 試合は天山と真壁でスタート、真壁は掟破りのモンゴリアンチョップからナックルを浴びせるが、天山は逆水平の連打や頭突きで反撃、ショルダータックル合戦からエルボー合戦も、天山はモンゴリアンチョップからマウンテンチョップで反撃、矢野がカットに入ると飯塚が入るが返り討ちれるも、真壁&矢野が天山&飯塚を鉢合わせにしようとするが、天山&飯塚が切り返して、逆に真壁&矢野を鉢合わせにして、天山はラリアット、飯塚はドロップキックを放つ。

  これで一気に流れを掴んだ挑戦者組は天山がマウンテンボム、飯塚がショルダースルーを決め、天山が一気に真壁を攻め立てるが、場外の矢野に足をすくわれると真壁が反撃、カットに入った飯塚にイスで一撃を狙うが、天山が身を挺してかばうも、飯塚は場外へ排除される。

  場外で矢野の鉄柱攻撃、真壁のチェーン攻撃を受けた天山は流血、リングに戻っても王者組は勢いの止まった天山に集中攻撃を浴びせ、真壁が逆片エビ固めで捕らえると、たまりかねた飯塚はカットに入る。天山はトレイン攻撃を狙う真壁組にラリアットで反撃、ここで飯塚に交代…のはずだった。

   飯塚か天山の交代に応じず、なぜかリング下に降りてしまい、館内は「え…」と戸惑いの声が出る。セコンドの若手らも飯塚にカットに入るように迫るが、飯塚は試合に加わろうとせず、飯塚の不可解な行動に天山は戸惑いつつも、真壁組相手に孤軍奮闘する。

  天山は真壁をTTDで突き刺すと、飯塚がリングに入り背後から天山を魔性のスリーパーで捕らえ、天山をグロッキーに追いやる。そこで矢野が天山を鬼殺しから真壁がキングコングニーで3カウントを奪い王座を防衛、試合後も飯塚にストンピングを浴びせ制裁するなどGBH入りをアピールした。

 生で見ていた自分もまさかの結末に驚き、技巧派と言われた飯塚の突然のヒール転向に戸惑うしかなかった。井上はダニエルズからジュニア王座を防衛するが、メインでは中邑が武藤に敗れIWGPヘビー級王座から転落するなど、大阪大会はバットエンドの幕切れなれど、バットエンドもまさしくプロレスであると感じさせた大会でもあった。

 飯塚は頭をスキンヘッドにして顎鬚を生やし、ヒールへと変貌を遂げ、天山だけでなく永田裕志ともチェーンデスマッチで対戦するなど、血で血を争う抗争を繰り広げたのは言うまでもないだろう。

 飯塚はその後、真壁と袂をわかって中邑、矢野と共にCHAOSを結成、今度は矢野をも裏切って鈴木軍入りをしたが、ヒールに転向してから10年以上、すっかりヒールが板についてしまった感じもするが、ヒールこそが飯塚の最もやりたかったことだったのではないだろうかと思ってしまうときもある。

 飯塚のラストマッチは鈴木みのる 飯塚高史 タイチvsオカダ・カズチカ 天山広吉 矢野通となり、飯塚は最後の試合まで天山と戦うことを選んだ。その飯塚の長きに渡るプロレス人生も、まもなく終わりを告げようとしている…

(参考資料 新日本プロレスワールド)

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