新日本プロレスvs全日本プロレス…UWF争奪戦!

 1985年12月6日、新日本プロレス両国国技館大会、メインイベントではIWGPタッグリーグ公式戦でアントニオ猪木、坂口征二の黄金コンビvs藤波辰己、木村健悟の新日ニューリーダーズが対戦する直前でスーツ姿の5人の男達が現れリングに上がった。5人はかつて新日本で活躍していたUWFの前田日明、藤原喜明、木戸修、高田伸彦(延彦)、山崎一夫で、5人を代表してマイクを持った前田は「1年半、UWFでやってきたことが何であったのかを確認するためにやってきました」と古巣である新日本プロレスに参戦を表明した。

1984年3月にUWFが旗揚げしたのは新間寿の項で触れたとおり、新間氏が新日本プロレスとの提携を模索したが周囲から反発を受け退陣した後に、初代タイガーマスクこと佐山聡がUWFに参戦、リングネームもザ・タイガー、またスーパータイガーに改め、従来のプロレスとは一線を画した格闘プロレス路線で従来のプロレスに飽き足らなくなっていたファンを取り込み、後楽園ホール大会を中心にカルト的な人気を博していたが、地方での集客は厳しく、営業も苦戦を強いられ、また当時必需とされていたテレビ中継もなく、浦田昇社長も佐山のマネージャーだったショウジ・コンチャを暴力団を使って強要した容疑で逮捕される事件も重なったこともあって大手スポンサーもつかず、資金繰りは常に厳しい状況だった。

 その状況の中で協栄ボクシングジムの金平正紀氏の紹介で豊田商事がUWFのスポンサーとなり、テレビ東京で放送されていた「世界のプロレス」の一コーナーでUWFの試合が中継されたことで、ようやくUWFに浮上の兆しが見え始めたと思われたが、豊田商事は金の地金を用いた悪徳商法(現物まがい商法)を手口とする組織で、高齢者を中心に全国で数万人が被害に遭ったことでマスコミにと取り上げられていたが、UWFにとっては資金源でもあり、大事な命綱だった。ところが豊田商事の永野一男会長が逮捕される直前でマスコミが取り囲む中で、自室に入り込んだ暴漢に刺される事件が起き、全身を刺された永野会長は死亡、実は永野会長もUWFのファンで、自分が逮捕されることを察したのか、UWFに最後の資金を渡そうとしていたという。この事件を受けて豊田商事は破産し、事件のことを配慮してか「世界のプロレス」でのUWF中継も打ち切りとなってしまい、資金源を失ったUWFは崖っぷちに立たされてしまう。

 そして1985年9月2日の大阪臨海スポーツセンター大会で行われたタイガーvs前田が組まれたが、UWFの今後の方向性を巡って理想を貫こうとする佐山と、現実的な問題が最優先に考える前田との間で対立が生じていた。周囲から煽られた前田はタイガーを潰しにかかり、不穏なものを感じたタイガーが前田が急所蹴りを浴びせたことをアピールし、ミスター空中レフェリーが前田の反則負けとして試合をストップしてしまう。6日の後楽園大会では「空手時代からの師匠である田中正悟氏の元で本日の試合に向けての練習中に左足首の靭帯損傷の古傷が悪化したため、大阪で療養中」と発表され前田は姿を見せなかったが、引退か新日本プロレスを離脱したばかりのスーパー・ストロング・マシン、ヒロ斎藤、高野俊二のカルガリーハリケーンズがUWFは観戦に訪れていたことで他団体へ移籍、また長州力率いるジャパンプロレスとの合同興行の話も浮上していることからジャパンとUWFとの提携も噂された。そして11日の後楽園でUWFは解散宣言をするはずだったが解散宣言は行われず、前田が田中氏と共に来場して欠場の挨拶はしたもののの、挨拶したのは田中氏で前田は終始無言、田中氏は前田がマシンらと接触したのは認めたがそれだけに終わったことをマスコミに対して発表しただけに留まった。そして第一次UWFの興行はこれでラストとなり、予定されていた10月9日と20日の後楽園はキャンセル。佐山もUWFに見切りをつけて退団した。

 UWFは存続に一縷の望みを託して大手スポンサーを探したが、浦田社長のトラブルや豊田商事が絡んでいたこともあってつかず、最終的に他団体との提携しか存続することが出来ないと結論に達したが、佐山vs前田のケンカマッチ事件と同日に復権を果たしていた浦田氏が新日本プロレスの審判部長であり役員、また鬼教官として藤原や前田に慕われていた山本小鉄氏から接触を求められ、社長であるアントニオ猪木、副社長の坂口征二の名代としてUWFとの提携へ向けて交渉を開始していた。UWFとの提携は猪木の意向ではなく新日本の主導権を握っていたテレビ朝日の意向で、新日本は長州力率いる維新軍団を含め選手らが大量離脱するだけでなく、WWF(WWE)との提携も解消されたことで、薄くなった選手層をカバーするため、全日本プロレスからブルーザー・ブロディ、越中詩郎、ケンドー・ナガサキを引き抜き、フリッツ・フォン・エリックのWCCWと提携を開始していたが、薄くなった選手層をカバーするまでには至らず、観客動員だけでなく視聴率も落ち込んでいた状態が続いていた。また10月からは日本テレビでは「全日本プロレス中継」もゴールデンタイムに復帰することが決まり、新日本プロレスを放送していた「ワールドプロレスリング」もテコ入れを迫られ、UWFを取りこんで”はぐれ”国際軍団や維新軍団のように乱入させ、日本人抗争を復活させようとしていたのだ。

 会議では提携先の検討が始まり、最初はハリケーンズが接触してきたのもあって、ジャパンプロレスも候補に入っていたが、ジャパンは全日本から完全独立していなかったのもあって困難と判断し、新日本との交渉を開始するも、選手達を通さずフロント主導で進められた話に、選手達は新日本に対して感情的なしこりが残っていたこともあって反発、UWFフロントは選手達の意見を取り入れざる得ず、新日本に対して新弟子を含めた全選手の参加と3日に一度の試合出場、プラス金銭面で支度金3000万、主力選手に月200万を提示する。前田もUWFに借財があり、これ以上浦田社長には迷惑はかけられないとして支度金を負債返済にあて、主力だけでなく若手やスタッフの面倒を見て欲しいと考えた上で条件を出したのだろうが、交渉は決裂、前田も新日本との提携を一旦諦めた。浦田社長はジャパンのルートを模索して長州と接触したが、フロントが「浦田社長が退かないことにはスポンサーがつかない」と突き上げを喰らってしまい退陣を余儀なくされてしまうも、浦田氏退陣の急先鋒が田中氏だったという。

 スポンサー獲得も、他団体との提携も駄目になって八方塞りとなったところで、馬場が佐山、そして前田と高田に直接電話をかけ「全日本はUWFの選手を必要としているから、どうなってもこのことを頭にいれてくれないか。とにかく話をしたいんでもう1度電話するから」と伝える。前田と高田は馬場との電話に応じたが、佐山は就寝中として応じなかった。馬場は以前から佐山を欲していただけでなく、新日本がUWFと接触していたことや、ジャパンがUWFと組みカルガリー・ハリケーンズと共に合同興行を開催する情報をキャッチしていたことから、新日本の反撃の芽を摘むだけでなく、長州の独立の芽を摘むためにUWFを取り込もうとしていたのだ。

 高田は馬場との直接会談に応じて、内容的なことはマスコミには明かさなかったが、馬場の駆け引きなく単刀直入に誘ってくれたことに好感触を得ていた。馬場はこの年の世界最強タッグに高田を起用することを考えていたという。だが高田は「今の段階では動けきません。動くにしても5人一緒に動きます。解散しても、もしあれでしたらお願いします」と返答して保留、それでも馬場は最強タッグが開幕する「11月23日の後楽園から来て欲しい」としてしたが、高田は返答を避けた。馬場にしても全日本はジャパンプロレスが参戦していたことであり、選手が飽和状態となってUWF全体を受け入れる余裕はなかった。せめて佐山や前田は駄目だとしても、高田だけでも一本釣りをしようと考えていたのかもしれない。

 一方UWFでは浦田氏が失脚したことで、新日本との交渉役は田中氏に代わり、前田をUWFの社長に就任させて「株式会社UWF」に社名を改めるプランが進行、11月29日に大阪で田中氏と山本氏が会談、おそらくだが田中氏は高田が全日本と接触したことを大いに利用したと思う、山本氏はUWF側の条件を全面的に飲み、手付金と呼ばれる金銭を明かしたが、この金銭が後に前田と田中氏の亀裂を生む遠因となっていった。そして両国大会2日前の12月4日に業務提携が決定したと発表されることになっていたが、極秘とされていた新日本とUWFの提携が東京スポーツにスッパ抜かることになり、前田らが新日本に対して不信感を抱くのではと田中氏は懸念する。

 しかしマスコミにスッパ抜かれても、前田は田中氏を信じたこともあり、「全員飯を食わせなければ」と割り切り、新日本との提携を進めたが、若手選手らにUWFとの提携が進んでいたことがわかると、”新日本は敵だ”と考えを植え付けられていたこともあって猛反発し集団で退団、最終的に安生洋二、宮戸優光、中野龍雄だけが残った。最終的な打ち合わせも完了して12月6日の両国大会直前で新日本と提携に向けて契約を完了、だが新日本側が求めたUWFのジャージ姿での乱入は前田らが拒否し、スーツに身を包んでの登場となった。前田らがリングに上がったと一報を聴いた馬場は機嫌が悪く、マスコミに聴かれても「どうしてそんなことを俺に聴くんだ?」と不機嫌だったという。

 ようやく新日本とUWFが提携を開始、年が明けて新日本からの要求により猪木への挑戦権をかけたUWF選手内でのリーグ戦が行われ藤原が優勝して猪木に挑み、猪木がナックルからスリーパーで絞め落として勝利も、試合を終えた猪木にハイキックを浴びせ「アントニオ猪木だったら何をやってもいいのか?」と言い放ったことで新日本vsUWFの抗争が本格的に開戦、新日本スタイルとUWFスタイルがぶつかり合うイデオロギー闘争へと発展するが、猪木にハイキックを放ってから前田は危険人物と扱われるようになり、猪木との対戦を避けられるどころか、アンドレ・ザ・ジャイアントとのシュートマッチ事件でも、結果的に前田のカリスマ性が高まる結果となり、新日本にとっても最も扱いづらい存在へとなっていった。

 新日本から受け取った支度金3000万円は負債を背負った浦田氏に手渡すことになっており、前田も田中氏を通じて浦田氏に手渡されたと思われていたが、前田がリングスを旗揚げしてから浦田氏に支度金を支払われていないことが発覚する。前田は田中氏を問い詰めるが田中氏は「誰かが俺を陥れようとしている」としか返事をせず、前田は新日本の取締役だった倍賞鉄夫氏に連絡すると、今度は新日本から前田らに黙って高額のマネージメント料を取っていたことが発覚、前田は証拠である契約書を田中氏に見せて問い詰め、その結果田中氏はリングスを去り、前田との師弟関係も壊れた。前田も周囲の話を信じ込みやすいタイプであり、田中氏も公の場に出ることがないので、これが真実なのかわからない、浦田氏や倍賞氏も亡くなっているので今となっては真相は明らかになることはないのか…

(参考資料 日本プロレス事件史Vol.3「年末年始の波乱」 宝島社「証言UWF」)

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