タイガーマスクからの脱却…ジャンボ鶴田から奇跡の勝利…三沢伝説はここから始まった!

990年5月14日、全日本プロレス東京体育館大会、タイガーマスクとして川田利明と組んでいた三沢光晴が谷津嘉章、サムソン冬木組と対戦、試合中に三沢は突如川田にマスクの紐を解く命じ、川田は言われるがままにマスクの紐を解くと、三沢はマスクを取って素顔を晒し、三沢の突然の行動にファンは驚くも大きなインパクトを与えた。

 1984年夏に三沢は2代目タイガーマスクに変身、当初はジュニアヘビー級で活躍していたが、タイガーとして再デビューしてから1年後の1985年に体重が増えたためヘビー級へ転向、しかしヘビー級に転向しても初代タイガーのスタイルである華麗な空中技を使用することも迫られたこともあって、高校でのアマチュアレスリング時代から痛めていた古傷との膝との戦いも強いられていた。1988年に結婚した際に三沢は正体を明かし、タイガーとしての活動は継続するも、この頃から古傷の膝が悪化、膝が外れる状態になり、三沢は試合をするたびに膝が外れる状況の中で出場し続けていたが、遂に限界を感じたジャイアント馬場に欠場を申し入れ、1989年3月、日本武道館で行われたリッキー・スティンボードの保持するNWA世界ヘビー級王座に挑戦する試合を最後に欠場、リッキーへの挑戦はNWA会長だったジム・クロケットがジャンボ鶴田、天龍源一郎の挑戦を拒否したことで、三沢に挑戦権が周ってきたものだったが、三沢も膝の負傷もあってNWA王座への挑戦は乗り気ではなかったのかもしれない。

 膝の手術を受けた三沢は長いリハビリを経て1990年1月に復帰、小橋健太と組んでアジアタッグ王座を奪取したが、この頃からマスクを取る決意を固めていた。だがこの頃は鶴田、天龍、スタン・ハンセンが中心だったこともあり、まだまだ三沢が割ってはいる余地はなかったこともあって、三沢はいつマスクを取るかタイミングを見計らっていた。そして4月に天龍が退団してSWSへ移籍したことをきっかけに、選手やスタッフがこぞってSWSへ移籍する事態が起き、専門誌も全日本存亡の危機と煽り立てた。危機的な状況の中で「スーパーパワーシリーズ」の開幕戦である東京体育館大会を迎えたが、メインでは馬場が鶴田と久々に師弟コンビを結成してテリー・ゴーディ、スティーブ・ウイリアムスの殺人魚雷コンビと対戦するも、馬場がゴーディのパワーボム、ラリアットと立て続けに喰らって完敗を喫したことで、暗い雰囲気が立ち込めたが、三沢は危機的状況をチャンスに変え、マスクを脱いで素顔を晒すことで大きなインパクトを与え、ファンも天龍に代わるスターの誕生を予感させた。

 三沢は決意の表しとしてアジアタッグ王座も返上し、シリーズ最終戦6月8日の日本武道館でノンタイトルながら鶴田に挑んだ。ファンは入場する三沢に声援を送り、新しいヒーロー誕生に期待をかけたが、2日前にゴーディに敗れて三冠王座を明け渡していたものの鶴田の強さは健在であり、まだタイガーマスクのイメージが拭えていないこともあって、三沢が勝てるとは思ってみなかった。

  試合開始から鶴田が豪快なボディースラム、三沢のドロップキックを受けきってカウンターキックを浴びせ、ジャンボラリアットを放つなど圧倒的な強さを見せていくが、バックドロップ狙いは三沢が浴びせ倒し、スライディングキックで鶴田を場外へ追いやると、ロープで回転する今で言う三沢フェイントを挟んでエプロンからドロップキックを放ち、エルボーで一気に流れを変え、リングに上がろうとする鶴田にエルボーの連打を浴びせて、再び場外に落とすとプランチャを放っていく。

  リングに戻るとサーフボードからの力比べから三沢がカンガルーキックを放つと、リストを奪って鶴田の動きを封じにかかるが、鶴田がロープに逃れると、三沢が鶴田の顔面に張り手を浴びせ、これで鶴田も本気となったのかキチンシンクからジャンピングニーパット、コブラツイストで捕獲、三沢も切り返して逆にコブラツイストで捕らえるが、場外へ出した鶴田は鉄柵攻撃、リングに戻ってダブルアームスープレックス、スリーパーと一気にリードを奪う。

  鶴田はエルボーアタックを狙う三沢を叩き落すが、ドロップキックで反撃した三沢はエルボーからミサイルキック、串刺しバックハンドエルボー、サイドスープレックス、スピンキックと畳みかけてからフロッグスプラッシュを投下、しかしクロスボディーは鶴田にキャッチされ、トップロープにノドを直撃させてしまい、鶴田はパイルドライバーで突き刺すからフライングボディーシザースドロップからニードロップを連発、ドロップキック、カウンターキック、セカンドロープからのジャンピングニー、トップロープからのダイビングニー、パワーボムと攻勢をかける。

  鶴田のダブルアームスープレックス狙うが、三沢は逆さ押さえ込みで切り返すと、エルボーを放っていくが、今までのダメージで後が続かない。しかし鶴田が場外へ転げ落ちると、三沢はスライディングキックから、コーナーからのプランチャを発射、リングに戻ってから飛び蹴りの連打、鶴田のジャンボラリアットをかわしてジャパニーズレッグロールクラッチで丸め込むがカウント2でキックアウトされてしまう。

  三沢はスピンキックからフロッグスプラッシュを投下も、鶴田は剣山で迎撃し、逆エビ固め、ジャンボラリアットの3連発と再び猛攻をかけ、バックドロップで勝負に出るが、三沢は咄嗟の判断でコーナーを蹴って、体勢が崩れた鶴田は自らの頭部も痛打させてしまい。三沢はジャーマンスープレックスホールドからタイガードライバーを狙うが、鶴田はリバーススープレックスで投げ、ジャンピングニー、フライングヘッドバットを狙う三沢をエルボーで迎撃も、鶴田自身も右腕を痛めてしまう。これで焦ったのか鶴田はドロップキックを放つが、かわされてロープに股間を痛打させしまい、鶴田はブレーンバスター狙うが、三沢が着地してバックドロップを狙う。そして鶴田が体を浴びせて押し潰すと、三沢は体を入れ替えてそのまま3カウントを奪い勝利を収め、館内は勝利を収めた三沢に声援を送り、三沢も先輩であり、エースである鶴田に勝利を収めたことで涙を流した。

 後年、三沢は鶴田戦を「試合は始まっても足は動かないし歓声もまったく聞こえない、頭の中で何回も天井を仰いだことを憶えているが、最後は咄嗟に体が反応しただけ、だから手を上げられても『終わったんだ』と思っただけ、ただ序々に勝ったんだという感激に包まれて涙がポロっと出た」と振り返ったが、このときの三沢はまだまだタイガーマスクの延長線上でしかなく、”三沢光晴”のプロレスを作り上げていなかった。その未完成の”三沢光晴”が無我夢中で鶴田に挑み勝ってしまった。ファンからは天龍に代わるスターの誕生を喜んだが、それと同時に背負った重責との戦いも始まった。

  三沢はその後、川田利明、小橋、菊地毅と共に超世代軍を結成し、鶴田率いる鶴田軍と、ハンセンを筆頭にする外国人選手と戦いを繰り広げ、9月に鶴田と再戦したがバックドロップの前に敗れ、翌年は三冠王者になった鶴田に挑むも、バックドロップの連発に敗れた。そして三沢の時代が始まったのは鶴田が病気で欠場してからだったが、全日本における三沢時代を作るきっかけになったのはタイガーマスクからの脱却と、鶴田からの初勝利だった。

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