世界最強タッグリーグ戦事件史 番外編 超獣コンビが世代交代をかけた”春”の最強タッグ


1982年晴れて全日本プロレスに移籍したスタン・ハンセンは4月の「’82グランド・チャンピオン・シリーズ」に参戦、20日の愛知県体育館大会では盟友であるブルーザー・ブロディとの超獣コンビを結成してジャイアント馬場、ジャンボ鶴田の師弟コンビが保持するインターナショナルタッグ王座に挑戦、試合は3本勝負で行われたが、1本目はハンセンのウエスタンラリアットからブロディのキングコングニードロップの殺人フルコースで鶴田から3カウントを奪い1本を先取、2本目はセコンドについたバック・ロブレイが手渡したチェーンで超獣コンビが馬場にクローズラインを決めて反則負けでタイスコアとなるが、3本目は両者リングアウトと引き分けで師弟コンビが防衛も、内容的には超獣コンビが圧倒しており、師弟コンビは両者リングアウトで逃げるのがやっとだった。

超獣コンビはこの年の世界最強タッグにエントリー、天龍源一郎&阿修羅原組に反則負けを喫した以外は破竹の勢いで勝ち進み、12月9日札幌大会でも馬場&鶴田の師弟コンビが、ハンセンのラリアットとブロディのキングコングニーのフルコースを馬場が喰らい完敗、13日の蔵前国技館大会で1点差で追いかけるドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンクのザ・ファンクスと優勝をかけて対戦。超獣コンビもブロディが4・21大阪でドリーを破ってインターナショナルヘビー級王座を奪取し、ハンセンも9・11後楽園でリングアウトながらもラリアットでテリーを粉砕、ハンセン自身もテリーに対して「テキサスの化石になれ!」と言い放つなど、時代は完全にファンクスからハンセン&ブロディに移り変わろうとしていたこともあって、世代交代をかけた対戦でもあった。


 試合はファンクスでさえも超獣コンビの前になすすべもなく圧倒され、テリーが前年度同様場外でハンセンのラリアットでKOされると、ブロディがドリーを羽交い絞めにしてハンセンがラリアットを炸裂するはずだったが、二人掛りの攻撃を制止するために入ったジョー樋口レフェリーを巻き込んでKOしてしまい、レフェリーと鶴田のバックドロップの指南役としてシリーズに帯同していたルー・テーズがサブレフェリーに入ると、超獣コンビはうっかり大先輩であるテーズにも手を出したため、怒ったテーズが超獣コンビの反則負けを宣告、ファンクスが逆転優勝となるも、超獣コンビにボロボロにされたファンクスはまるで敗者のようだった。

 試合後に超獣コンビが結果に納得せず、リマッチを要求すると、超獣コンビの要求を飲んだ全日本が、83年4月の「グラウンド・チャンピオン・カーニバル パート1」にて馬場&鶴田の師弟コンビを加えた「10万ドル争奪!世界最強タッグ・リマッチ」を開催することを決定、ルールは3チームが2回総当りリーグ戦を行い、最多得点チームが優勝、得点方式もフォール・ギブアップ勝ちが5点、反則勝ち、リングアウト勝ち、引き分けが3点、負け、両軍リングアウトが0点とされた。  最強タッグリマッチ開催に先駆けて4・14大阪ではハンセンvsテリーの最強タッグリマッチの前哨戦が行われるが、ハンセンがテリーを流血に上にブルロープをテリーの首にかけて絞首刑にすると、これに怒ったドリーが乱入してハンセンに襲い掛かってテリーの反則負けとなるが(絞首刑にされたシーンはTVはカット)超獣コンビとファンクスの遺恨はますます深まっていった。 

 リマッチの公式戦は4・16愛知での師弟コンビvsファンクスからスタートした 

4・16愛知県体育館 
▼世界最強タッグ・リーグ戦リマッチ1回戦/45分1本 
〔1分=3点]ジャイアント馬場 ジャンボ鶴田(45分時間切れ引き分け)〔1分=3点]ドリー・ファンク・ジュニア テリー・ファンク 

4・20東京体育館
 ▼世界最強タッグ・リーグ戦リマッチ1回戦/45分1本 [1勝=3点]スタン・ハンセン ○ブルーザー・ブロディ(13分55秒 リングアウト)[1敗1分=3点]ドリー・ファンク・ジュニア ×テリー・ファンク  

4・22札幌中島体育センター 
▼世界最強タッグ・リーグ戦リマッチ2回戦/45分1本
 [1勝1敗1分=6点]ドリー・ファンク・ジュニア ○テリー・ファンク(16分38秒 反則勝ち)[1勝1敗=3点]スタン・ハンセン ×ブルーザー・ブロディ ※レフェリーに暴行 

 4・24大宮スケートセンター 
▼世界最強タッグ・リーグ戦リマッチ2回戦/45分1本 
[1分1両リン=3点]ジャイアント馬場 ジャンボ鶴田(26分5秒 両者リングアウト)[1勝1敗1分両リン=6点]ドリー・ファンク・ジュニア テリー・ファンク

 4・26富山市体育館
 ▼世界最強タッグ・リーグ戦リマッチ1回戦/45分1本 
[1勝1分1両リン=6点]ジャイアント馬場 ○ジャンボ鶴田(9分54秒 反則勝ち)[1勝2敗=3点]×スタン・ハンセン ブルーザー・ブロディ レフェリーに暴行  

リマッチも反則、リングアウト、引き分けという結果となっているが、ファンクスは3点で公式戦を終了、超獣コンビは負けが先行、師弟コンビが超獣コンビとの2回戦を残して優勝に王手をかけるという意外な展開となった。

最終公式戦である師弟コンビvs超獣コンビはブロディが鶴田にシュミット流バックブリーカーを決めたところで、ハンセンがコーナーからニードロップを投下する合体技を決めると、最後はハンセンのラリアットが炸裂して3カウント、超獣コンビが5点プラスで4点目を獲得して優勝、全公式戦の中で唯一のフォール決着となったが、得点ルールを最大限に生かした超獣コンビのしたたかさが優る結果となり、超獣コンビが初めてファンクスを上回ることが出来た。

 4・28京都府立体育館 
▼世界最強タッグ・リーグ戦リマッチ2回戦/45分1本
 [2勝2敗=8点]○スタン・ハンセン ブルーザー・ブロディ(13分9秒 体固め)[1勝1敗1分1両リン=6点]ジャイアント馬場 ×ジャンボ鶴田 ※ウエスタンラリアット  

後年ハンセンはテリーとの対談で「トップチームのポジションを得るためにはリアルなコンペティション(競争)を仕掛けるしかなかったんだ。年齢にはそんなに差はないが、『俺たちが次の世代なんだ!』という意味で『ユース(ロングホーン)』が生まれた」と語れば、テリーも「それが人生だよ、リアルな人生だから、日本のファンを動かすことが出来たんだと思う、歴史を振り返ると、凄くミックスされたカクテルのようなものだよ」と答えた。ハンセンもブロディもファンクスに対する面白くない感情、押しのけてやるという気持ちをぶつけたからこそ、日本でトップに立つことが出来た。ドリーが「プロレスとはリアルとエンターテイメントのカクテルでなければいけない」と語っていたとおり、ファンクスvs超獣コンビもリアルとエンターテイメントのカクテルのような戦いでもあった。  

8月31日にテリーも引退したことで、ドリーも一歩引き、外国人選手は超獣コンビの時代となり、本番である『83世界最強タッグ決定リーグ戦』も鶴田&天龍源一郎の鶴龍コンビを破って念願の優勝を果たし、世界最強タッグ・リーグ戦リマッチは翌年も初代PWFタッグ王座決定リーグ戦という形で開催され、超獣コンビ、馬場&ドリー組、鶴龍コンビ、AWA世界タッグ王者組であるグレッグ・ガニア&ジム・ブランゼルの4チームがエントリーする。最終公式戦が行われた1984年4月25日横浜文体大会で初代王者をかけて超獣コンビと馬場&ドリー組が対戦するも、馬場が場外で超獣コンビの合体パイルドライバーを喰らった後で、ハンセンのラリアットを喰らってKOされると、最後はブロディにスピニングトーホールドを決めているドリーに対してもラリアットを浴びせてブロディがカバーして3カウントを奪って、超獣コンビが初代PWFタッグ王者となり、頭部と首を負傷した馬場は最終戦の大宮大会を欠場、国内無欠場記録に終止符を打たされ、師弟コンビで保持していたインタータッグ王座も返上、インタータッグ王座は後に鶴龍コンビが巻くことになるが、超獣コンビは全日本の世代交代への役目を果たす存在となったことを考えると、”春の最強タッグ”は超獣コンビのために開催されたリーグ戦でもあった。 

<参考資料 日本プロレス事件史Vol.25 GスピリッツVol.38>

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