ザ・コブラは、なぜ凱旋マッチで”しくじった”のか?


 昭和58年11月3日蔵前国技館、初代タイガーマスクが引退に伴い、空位となったNWA世界ジュニアヘビー級王座を巡ってザ・コブラとザ・バンビートの間で王座決定戦が行われた。 

  コブラの正体はカルガリーマットで修行していたジョージ高野で、コブラはヒールのマスクマンとしてダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミスらと抗争を展開していた。

ジョージ高野は大相撲廃業後、1976年に新日本プロレスに入門、1977年に佐山聡相手にデビューを果たし、特撮テレビドラマ『プロレスの星 アステカイザー』に主人公のライバル役として出演したが、菅原文太の誘いを受けて芸能界入りを目指すも、プロレスへの情熱は断ち切れず、新日本プロレスに復帰、アントニオ猪木に可愛がられていたこともあって、猪木を大きく尊敬していた。

1982年にメキシコへ武者修行に出るが、プライベートで問題を起こし出世コースから外れてしまう。そこでカルガリーで修行していた高野俊二(高野拳磁)に泣きつき、カナダのカルガリーへと転戦、俊二の世話になりながらもカルガリーマットで活躍した。

1983年からジョージはザ・コブラに変身し、将軍KYワカマツをマネージャーにしてヒールになると、ダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミスと抗争を展開、ブルース・ハートを破り英連邦ヘビー級王座を奪取していた。

8月に猪木、藤波辰己ら新日本勢が遠征に来ると、コブラは小林邦昭と組んでスミス、ブレット・ハート組と対戦、華麗な空中殺法を披露する。、この模様はワールドプロレスリングでも放送されたが、高野も新日本プロレスがとんでもない事態に陥っていることを知る由もなかった。

6月にIWGP優勝決定戦でハルク・ホーガンにKO負けを喫していた猪木は再起を目指すためにカルガリーに訪れていたが、猪木の不在の間に日本では初代タイガーマスクが引退を表明、また猪木が自身の事業に新日本プロレスへの収益をつぎ込んだことで不満を抱いたグループが社内クーデターを起こし、社長である猪木と副社長である坂口征二は失脚、猪木の側近である新間寿氏も謹慎処分を受ける。

結局クーデターはクーデター派の足並みの乱れと、テレビ朝日を猪木を支持したことで失敗に終わり、猪木は社長として復権を果たすも、その代わりにテレビ朝日に新日本プロレスの主導権を握られてしまい、猪木の片腕だった新間寿氏も謹慎の後で退社に追いやられていた。

テレビ朝日が放送していた「ワールドプロレスリング」は初代タイガーマスクが引退しても、猪木率いる正規軍と長州力率いる維新軍団との抗争を軸にしたことで視聴率、初代タイガーマスクの抜けた穴を埋めていたが、初代タイガーマスクの頃とは違って若干視聴率も下がっていたこともあってテコ入れを迫られていた。

そこで目を付けたのはコブラで新日本はポスト・タイガーマスクとしてコブラを売り出すことになり、ジョージに帰国命令を出すが、カルガリーでの居心地の良さもあって本人は帰国を辞退するがm尊敬する猪木の説得もあって世話になった俊二を置き去りにして帰国、帰国時には成田空港でマスク姿のコブラが登場、インタビュアーが突撃取材をするも、コブラはノーコメントであくまで謎のマスクマンで通したが、それだけ新日本プロレスだけでなく、テレビ朝日もコブラに期待をかけるも、一部のファンは正体はジョージであることに気づいていた。

 コブラの相手はこちらも謎のマスクマンであるザ・バンピートが務めることになったが、コブラはタイガーマスクやマスカラスのマスクを被った若手選手らが担ぐ白煙を噴く神輿に乗って、白いタキシードを身に纏い登場、コーナー昇ったコブラはバク宙を披露するも、すぐさまバンピートがコブラを襲撃する。
バンビ―トは突如マスクを脱いで素顔を晒すと、ファンはダイナマイト・キッドだと思ってキッドコールを贈ったが、正体はキッドに似ていたスミスで、スミスはコブラはタキシードを脱いでいないコブラを場外へ追いやってボディースラムで叩きつけ、リングに戻ろうとするコブラにロープ越しのブレーンバスター、リフトアップスラムで場外に放り投げるなどコブラを徹底的に痛めつける。  

 改めて試合開始のゴングが鳴らされると、館内はコブラコールではなく「高野コール」が起きていた。そして肝心の試合となると期待されたコブラの空中戦は封じられ、グラウンド中心の攻防に終始、コブラが空中殺法を狙うと、スミスは受けようとしないなどの行為が目立ち、コブラの良さを引き出さずに自身の良さばかりをアピールしたため、ジュニアらしい華麗な空中戦も攻防はなく、さすがの館内も野次が飛び始める。
 それでもコブラはドロップキックでスミスを場外に追いやると、ノータッチトペスイシーダを発射するが、スミスはかわして鉄柵へ直撃しコブラは両膝を負傷、この時にコブラは膝の半月板が割れたという。スミスは場外パイルドライバーで突き刺すが、コブラも鉄柱攻撃から同じ技でやり返し、リングに戻ってスミスはミサイルキックを狙うと、コブラも下からのドロップキックで迎撃、コブラは痛い両膝でのダブルニーからフライングラリアットを狙うが、タイミングが合わずに相打ちとなって失敗してしまう。しかしスミスのセントーンをかわしたコブラはフライング・ラリアットを決めて3カウントを奪い勝利も、フィニッシュの技にはインパクトに欠けるだけでなく技の失敗も目立って、新日本やテレビ朝日の期待を大きく裏切る結果となってしまい、肝心の試合の模様は試合途中からトペの失敗まではダイジェストで放送され、放送されたのは終盤でのフィニッシュシーンでの攻防だけだった。

  新日本だけでなくテレビ朝日もコブラの入場シーンを派手にするなど、ポスト・タイガーマスクとして大きな期待をかけていたはずだったが、凱旋マッチで手の合う相手として用意したスミスが大誤算で、扱いに不満だったのか。コブラを引き立てようとしなかったこともあって周囲の期待を大きく裏切ってしまった。

 その後コブラは割れた膝は手術せずにスクワットなどで下半身を強化して1984年に復帰したが、現在も膝は割れたままだという。コブラは「新春黄金シリーズ」に開催された「WWFジュニアヘビー級王座決定リーグ戦」にエントリー、公式戦では初代タイガーのライバルであるキッド、初代ブラックタイガーを破る殊勲を挙げたが、優勝決定戦はキッド、スミスと三つ巴で争われ、三つ巴戦はスミスがコブラと引き分け、キッドに敗れて脱落し、優勝はコブラとキッドの間で争われたが、キッドがバックドロップホールドでコブラを破り優勝、コブラは初黒星を喫した。  

後年、ジョージによると「(トペ失敗)はそのまま放送して欲しかったですね、そうすればタイガーマスクと比較がわかると思うんですよ、佐山さんが新日本を辞めたばかりで、コブラはその後釜に期待されていたことは知っていたけど、だからこそあの失敗は放送して欲しかった。佐山タイガーは全部成功するキャラクター、でもコブラは成功しないみたいな。再起するキャラクターなんですよ、私はコブラのカラーを出したかったんですよ、コブラはどこが違うかって言ったら猪木さんのファイティングスピリット、決して諦めない気持ちと動きで見せるところです」と語ったとおり、初代タイガーは完成品であるに対し、コブラは未完成、だからこそ何度も敗れて失敗しても、歯を食いしばって立ち上がる闘志を見せるコブラをジョージは見せたかった。しかし新日本やテレビ朝日はタイガーマスクのようなキャラを期待していた。コブラがしくじった理由は本人の望んでいた方向と、新日本やテレビ朝日、またファンとの方向性の違いが原因だったからかもしれない。

キッド、スミスが全日本プロレスへ移籍したため、コブラはブラック・タイガーとMSGで王座決定戦を行って破り、初代タイガーマスクに次ぐNWA、WWFジュニアの二冠王となり、ヒロ斎藤と抗争を繰り広げるも、コブラの試合はテレビマッチで放送される機会もなく、ヒロとの抗争もテレビすら放送しなかった。ヒロも新日本プロレスを離脱してしまい、新日本プロレスもWWFと提携を解消したことで両王座は返上してしまった。それに伴ってIWGPジュニアヘビー級王座が新設、王座決定リーグ戦が行われ、コブラは優勝決定戦に進出して全日本プロレスから移籍した越中詩郎と対戦したが、スペース・フライング・タイガー・ドロップは飛距離が足りずに失敗し、ダイビングボディープレスも剣山で迎撃されたコブラは越中のジャーマンスープレックスホールドに敗れ王座奪取に失敗する。また越中がUWFから出戻っていた髙田延彦と抗争に入ったことで、ジュニアの中心が二人に代わってしまい、コブラは越中を破って2代目王者となった高田伸彦と対戦したが、両者リングアウトで王座は奪えず、「キング・コブラになって帰ってくる」と言い残し、ザ・コブラは消え、ヘビー級へと転向した高野がリングに登場した。

新日本ジュニアは越中vs高田によるジュニア名勝負数え歌をきっかけに日本人中心に変わり、マスクマンの王者が1989年獣神ライガー、後の獣神サンダー・ライガーがデビューするまで誕生しなかった。

素顔に戻った高野だったが、新日本プロレスは高野を売り出そうとしなかったため中堅で燻るようになるも、それには理由があって高野はコブラ時代からプライベートで度々問題を起こしており、新日本プロレスも高野をトップレスラーとして扱うのには不適格と判断したからだった。新日本プロレスは武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋の闘魂三銃士を売り出すことになると、高野もさすがに居場所を失うが、そこで若松市政から誘いを受けてSWSへ移籍を決意するも、そもそもそれは最初は俊二に来た話で高野が横取りしてしまったのだ。

SWSへ移っても高野の身勝手ぶりは変わらず俊二すら振り回すようになり、SWS崩壊後はPWCを旗揚げするも、身勝手ぶりは続き。社長業だけでなく借金まで俊二に押し付けて、挙句の果てにはPWCの売り上げまで持ち逃げしてしまう。その後も俊二をだまし続けていたため、俊二も兄とは絶縁してしまい、高野家一族からも絶縁されてしまった。

コブラがしくじった本当の理由は高野本人の人間性にもあったのかもしれない…

(参考資料 双葉社「逆説のプロレスVol.17『取材拒否』新日本プロレスワールド コブラvsスミスは新日本プロレスワールドにて視聴できます)

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